これは戦後間もないころのお話で、
一市民(男性)の方が書かれたものを下敷きにしています。
外出先での仕事が終わり、私は近くの大衆食堂に入りました。
店内は少々混んでましたが、一人席が空いており、
私はホッとして腰を下ろしました。
斜め向かいのテーブルに、若くてきれいな母親と、
5歳くらいの女の子が座って、注文の品を待っていました。
やがて運ばれてきたものは、値の張りそうな「天ぷら定食」でした。
ちょうどその時、カラカラと力なく戸が開いて、
異様な風体の親子連れが入ってきました。
父親は顔中ひげだらけ、着ている物はボロボロです。
後ろからついてくる男の子は、5歳くらいで、大きな背広を着せられ、
荒縄で腰のあたりを縛っていました。
その頃は、まだ乞食と呼ばれる人たちがいました。
明らかに乞食の親子連れでした。
店内は、急に水を打ったように静まりかえりました。
その親子連れは、母親と娘の前の席が空いていたので、
そこに腰かけました。
「何を食べるの?」
女店員が、まるで怒ったように、大きな声で尋ねました。
父親は、アル中なのか中風なのか、かすかに身体を震わせながら、
長い時間かけて、ポケットの中から何かを出してテーブルの上に置きました。
10円玉が二つでした。
「おかみさーん、この人達、変なんですから!」
女店員は、すっとん狂な声を出しました。
奥から丸顔の、人のよさそうな40がらみのおかみさんが出てきました>>>
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「よっちゃん!そんな大きな声を出しちゃあ駄目よ」
たしなめながら、おかみさんは、素早く状況を把握したようでした。
「分かったわ。おなかすいてるんでしょう。
・・・ちょっと待ってね。今、何か作ってくるからね」
やがて、おかみさんが作ってきた物は、まっ白い山盛りのご飯の上に、
煮付けたイカの足をのせて汁をかけた、不思議な飯でした。
それにタクアンが二切れ、小皿の上に乗っていました。
父親は、ガツガツと食べ始めました。
しかし、男の子はどうしたわけか、箸もとらず、
ただジッと前を見つめていました。
そう、そこには若い母親と少女が「天ぷら定食」を食べている姿があったのです。
その頃には、近くの客は、よそのテーブルに席をかえていました。
裕福そうな母子と乞食のような父子の二組みが、
ひとつのテーブルに座っていたのです。
私は、席をかえようとしない母親の心に関心を持ちました。
その時でした。
少女が海老の天ぷらを一つ、男の子の皿に乗せたのです。
男の子は待っていたように、それを手でつかんで食べました。
女の子がもう一つ乗せた時、母親が愛おしそうに、
わが子の頭をなでてあげました。
そして、母親は、ソッと自分の天ぷらを、わが子の皿の上に乗せ、
まだかなり残っている白いご飯を急いで食べました。
時代が違うので、この母親のあり方について、
優越感が鼻もちならないとか、上から目線とか、
そんな見方があるかもしれません。
でも、この時代、たとえば「乞食」と呼ばれる人たちを
差別的に見るのが、ごく普通の市民の目線だったのです。
このような人達を忌避することはあっても、
自分の物を共有する、というのは少数派だった時代でのお話でした。
このお母さんは、意図するしないにかかわらず、
娘さんに、大変いい教育の機会を与えたのだと思います。