患者さんと旅人のようにすれ違う月日の中で、
Fさんという一青年のことは鮮やかに私の脳裏に残っています。
ある五月の連休の第一夜に、
自殺未遂の患者さんが運ばれてきました。
大学受験の失敗を苦に、
市販の精神安定剤と鎮痛剤とを同時に飲み下したようです。
発見されたとき、かなり時間が経っており、
昏睡状態で、脈拍も呼吸も微弱。
瞳孔はやや散大して重篤状態でした。
当直医(ドクター)は一通りの処置を済ませてから、
母親に「明日の朝までが峠でしょう」と、
頭を横に振りました。
患者のFさんは21歳の男性。
骨格が厚く筋肉質で、身長180㎝。
歯が丈夫で食べ物の好き嫌いがなく、
これまでいたって健康であったといいます。
私たちは、Fさんの生命力を信じ、期待をかけました。
母親の付き添いも好条件に思われました。
子供は母親の胎内に宿ったころからその声に親しみ、
聞き分けてきています。
母親の方から息子さんへ、ふだんのように、
出来るだけ頻繁に語りかけてくださるようお願いしました。
私たちも、彼のベッドを訪れるたびに、
耳元で話しかけました。
「こんにちは。Fさん、聞こえますか?
痛いところはありませんか?」
「Fさん、のどが渇きませんか?」
「注射をしますよ。少しがまんしてくださいね」
彼は昏睡のままいくつかの峠を越えました。
しかし、これという好転の兆しもなく、
一進一退の状態が続きました。
私は出勤すると、真っ先にFさんの病室に足を運び、
「がんばって」と握手をしました。
ある日、体をふこうと熱いタオルを
彼の首筋に当てたとき、眉が動いたのです>>>
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ほおをたたいてみると、
唇をゆがめて痛そうな表情を見せました。
そのあくる朝、彼は昏睡から覚めたのでした。
入院から8日経っていました。
Fさんは夢うつつに車(配膳車)の通り過ぎる音を聞きました。
次に、はっきりと聞き覚えのある女性の話し声が聞こえてきました。
目を開けると、間近に母親の横顔があったといいます。
「お母さん、僕あの看護師さん知っているよ」と、
これが彼の第一声でした。
そのとき、廊下で耳の遠いお年寄りに話しかけていた私は、
母親に呼ばれてすっ飛んでいったのです。
Fさんは目をやや充血させていましたが、
私が手を差し出すとはにかんで、
しかしはっきりした口調でこう言いました。
「ありがとう看護師さん。
僕、はじめからあなたのこと分かっていました。
毎日待ち遠しかったです。
僕の方でも『こんにちは』と挨拶をしましたが、
聞こえましたでしょうか」