眼が見えなくとも、ひたすら生きようとしている

B147
の娘、4歳になるのですが、・・・超未熟児で生まれました。

妊娠半年に入るころ、体重670グラムで
手のひらほどの大きさで誕生しました。

このまま生きていけるのかと本当に心配でした。

3ヶ月の間、保育器の中で娘は過ごしました。

2ヵ月経ったある日、主治医に呼ばれました。

主治医によると、右脳の小さな血管が切れてしまった
とのことでした。

右半身にマヒが残ると言われ、愕然としました。

100%戻ることはないけど、近いところまでは
リハビリで戻せるとのことでした。

もともと医者にはまともに生まれて育つ可能性は、
10%もないと言われていたので、
妻と私は、生きてるだけでいいんだからと
胸を撫で下ろしました。

そしてもうすぐ退院という時に、
医者から娘が未熟児網膜症にかかっていると言われ、
手術をしなければ失明すると告げられました。

両目とも網膜症になっていたので、
計2回の手術を行うこととなりました。

まずは右目から・・・

右目の手術は進行が激しく失敗してしまい、
左目にすべてを賭けました。

私たち家族は、夢中で左目の手術が行われるその時まで、
神に祈りました。

無我夢中で必死に神に・・・、
そして奇跡が起こることを夢中で祈りました。

と、その時です。

私は一瞬にして眠りに落ちました。

気がつくと、フワフワした雲の上にでもいるような、
一面真っ白な場所に私は立っていました。

正面を向くと、そこには堂々と神々しく、
そして眩しい姿の菩薩様が立っていました。

菩薩の高さは、顔まではっきり確認できないほど高く、
まして、マジマジ見ることが出来ないくらい、
光を放っていたのです。

何というのか、自分の中身、頭の中すべてを
見透かされてるように恥ずかしく、
自分のことがとても小さく思えたのです。

そしてソレは聞こえてきたのです。

耳で聞いたというよりは、
私の魂に語りかけてきたというのが正確だと思います。

菩薩はこう言いました。

難しい言葉でしたが、意味は解りました>>>

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薩が私の魂に直接語りかけた言葉です。

『アイナ(娘の名)は、一生懸命生きようとしている。
 ・・・それなのに何故、眼が見えて欲しいだのと
 己の欲ばかりを押し付ける?

 汝が願うことは、アイナが願ってることなのか?

 イヤ違う。それは汝の見栄や欲ではないのか?

 今、眼の手術が成功したところで、汝の願いは留まることを知らぬ。

 すべてを受け止めよ。
 すべては起こるべくして起こったことなのだ。
 ・・・受け止めよ。

 アイナは生きようとしている。見守るのだ・・・』

そう言われ、すべて見透かされた私は自分を恥じました。

娘が眼が見えなくて、障がいを持つことに激しく動揺し、
そして周りの目を考えていた私は、
娘が必死に生きようとしてることを見過ごしていたのです。

そのことを教えられ、ただただ自分のことを情けなく思えました。

深く反省しつつ、菩薩の姿から目を下ろしました。

目を何げに先に向けると、4、5歳くらいの女の子が
毬をついて遊んでいました。

しかし、その子は眼が見えないらしく、上手く毬をつけず、
何度も毬を遠くに飛ばし、一生懸命探して、
また毬をつき始めるのです。

・・・その表情はとても楽しそうで幸せそうでした。

そして、私は目が覚めたのです。

この間、ほんの2、3秒の話です。

今、娘は4歳で、全盲です。

それでも、周りの子と変わらず、明るく歌が好きで、
笑顔の可愛いお転婆娘です。

あの時、見た毬をついてた女の子、いま4歳の娘そのものです。

参考:泣ける2ちゃんねる「一生懸命生きようとしている」より

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