長嶋さんと言えば、やはり天覧試合(天皇皇后両陛下を迎えての試合)の
サヨナラホームランです。
1959年(昭和34年)6月25日、場所は東京・後楽園球場。
対戦相手は阪神タイガース。
球界初めての天覧試合ということで、
審判団、球団・球場関係者もみな一様に緊迫した空気で、
この日を迎えていました。
巨人対阪神は、伝統の一戦であり、
そして舞台は4対4の同点で迎えた9回裏、巨人の攻撃です。
ここで長嶋茂雄選手の登場となります。
迎え撃つピッチャーは、やはり力投型、
長嶋を終生のライバルとする村山実投手です。
これ以上の見どころはないというような場面です。
ところが、両陛下が野球観戦できる時間は、21時15分まで。
もうタイムリミットは、あと10分無いというところでした。
『4番・サード長島』
長嶋は、実はこの日に至るまで、
あまり調子よくないスランプの日が続いていました。
そして、この日の前日のことです。
長嶋選手は、布団にちゃんと正座して、
枕元のバットに頭を下げて祈りました。
「明日はいい場面で打たせてください」
そして迎えたこの場面、カウントはツーストライクまで追い込まれました。
追い込んだ村山投手は、5球目、腰をひかせるために、
渾身のボールを長嶋選手の胸元に投げました。
長嶋選手は、それを待っていたかのようにフルスイング。
その場面は、動画でごらんください。
天皇陛下も身を乗り出してボールの行方をご覧になっています。
このとき、21時12分。
天皇皇后両陛下が退席されるまで、あと3分というときだったのです。
スタンドは、「バンザイ!バンザイ!」の歓声が轟きました。
なんというドラマティックな星を掴んでいる男でしょうか、
長嶋茂雄という人は。
ところで、長嶋さん、この日の前日、
バットに祈りを捧げたと述べましたが、
もうひとつ、驚くべきイメージトレーニングをやっているのです。
さすが、というか虚仮(こけ)の一念というか、
やはり長嶋さんのスゴサを感じます。
どんなイメージトレーニングだったのでしょうか>>>
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長嶋選手、天覧試合に臨む前までスランプであったことは述べました。
だからこそ、やれることはすべてやろうと思いました。
最寄の駅で、ありったけのスポーツ新聞を買いこみました。
手元には、赤、青、黄、緑のマジックを用意しました。
そして、長嶋さんのやったことは、一面のトップ記事を広げ、
自分で見出しを書き込んでいったのです。
新聞一紙ごとに「長嶋サヨナラ本塁打」「天覧試合でサヨナラ打」などと。
さらに監督談話まで勝手にマジックで書きあげました。
「長嶋の一発に尽きる。さすがにゴールデンルーキー。歴史に残る一発だ」
そして、それはすべて現実になったのです。
その日、その瞬間を動画でごらんください。