この記事は、実は2015年の9月に書いたものです。
ここに登場するM君とは、文中に出てくる電話会話の後、
数十年ぶりに長崎で再会しました。
この記事も、スマホで彼に見せました。
彼の目からはポロリと涙がひとつこぼれ落ちました。
病気がちだったのが心配でした。
少し予感めいたものがありました。
つづきは、この記事の最後に書きます。
「子を見れば親が分かる」と言いますが、
M君の場合、それがほんとにあてはまりました。
もう今からはるか昔、僕が高校生だった頃、
M君はひとつ年下の後輩でした。
行動が男らしくて、正義感の強いM君は、生徒会長に立候補。
僕は、応援演説をしました。
大学進学で上京するときは、M君と一緒だったし、
しばらくの間は、アパートに同居したような間柄でした。
M君のお父さんは、市役所に勤めていました。
時々、東京に出張してこられた時には、
僕も一緒に夕食をご馳走になったりしました。
M君は一つ年上の僕を、さん付けで呼びます。
お父さんまで、それにならって、
僕のことをさん付けで呼んでくれました。
いつもニコニコと穏やかな笑顔を絶やさず、
悪い盛りの大学生二人を前にして、
決して説教くさいことも、上からモノを言うこともない、
ジェントルマンのお父さんでした。
しかし、ただ穏やかなだけのお父さんではなく、
職場では一家言持ったお役人だったようです。
市民の利益に反することなどは、
遠慮会釈なく上司に噛みつき、よくケンカをしたそうです。
また、組合活動(職員団体の活動)を嫌っていました。
「税金で給金をいただいてる立場たい。おいは好かん」
と言って、同僚などからの勧誘にも頑として拒絶していました。
小柄で、やせた体格ながら、その後ろ姿には、
堂々たる男の矜持を感じさせるものがありました。
さすがにM君は、お父さんを前にしては言いませんが、
僕には、いつも「親父が好きです。最も尊敬している人間です」
と公言していました。
僕は、心の底から羨ましく思いました。
当時、僕は自分の父のことが嫌いで、尊敬も出来なかったからです。
親を好きという感覚がよくつかめない感じでした。
それでも、最も近いおとなで、血の繋がってる人を尊敬できる、
そのことが、僕には途方もない世界のことのように思えたものです。
そのM君と、先日、数十年ぶりに電話で話しました。
早速、お父さんの話になりました。
残念ながら、M君のお父さんは3年前にお亡くなりになったそうです。
しかし、人間として、父として、男として、
息子に「尊敬してる」と言わせる人の死に方は、
生き方と同じように、人の胸に迫るものがあります。
お父さんの死に方を聞いて、つい涙がこぼれ落ちました>>>
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M君のお母さんは、10年ほど寝たきりで伏せっていました。
ほとんど口もきけないほどの病状だったそうです。
胃ろうを施され、そのお世話はずっとお父さんが為さってたそうです。
M君は、お父さんの無理を考え、医療機関に預けるべく説得しました。
しかし、お父さんは、頑として譲らず、
「おいがする(俺がやる)」とひとこと言って、
あとは黙々とお母さんの世話を続けたそうです。
とにかく仲の良いご夫婦でした。
愛する奥様を最後まで、自分が出来るから自分がやる、
それを貫かれたのでした。
奥様の寝床に直角の位置に座り、ピンと背筋を伸ばしながら、
一回の「食事」に2時間ほどもかけてお世話を為さったお父さん。
そんなお父さんの姿がありありと目に浮かびました。
しかし、お母さんより先に、
お父さんが病でお亡くなりになったのです。
そして驚くべきことに、
10年間伏せっていたお母さんも、
後を追うように、その翌日旅立たれたのです。
M君は言ってました。
「親父が連れて行ったんだと思います」
僕もそう思いました。
あのお父さんのことだ、残った者の負担を軽くしてあげたい、
そう思われたに違いない。
それに仲の良かった奥さんを独りで寂しくさせたくない、
そんな心残りもあったのでしょう。
ちなみに、お寺の世話や葬式なども、ひとつにまとめることができ、
金銭面ばかりでなく、来訪客の方々にも面倒を少なくすることができた、
最期まで子供孝行の親父でしたよ、とM君は述べてました。
生きてる時ばかりでなく、死んだあとも、
自分を後回しにして、人のことを考えたお父さん。
受話器の向こう側とこちら側で、
いいおっさん二人が涙声になってお父さんを偲びました。
僕はあらためて思いました。
男、男と言うヤツに本当の男はいない。
本当の男とは、いつも静かで優しく、
M君のお父さんのように、背中で生き方を見せてくれる人なんだと。
あれは虫の知らせだったのでしょうか。
ふとどこからか降りてくるように9月6日、その日が彼の誕生日だったことを思い出し、
唐突なサプライズ電話をしたのでした。
その電話の後、数十年ぶりに再会したM君、2015年9月末のことでした。
そのM君は、再会の半年後、2016年4月に、
心臓の病で亡くなったのです。
お通夜と告別式ともに参席させていただき、
僕は、これまで経験しなかったほどに大泣きしました。
棺桶の中にちんまり納まるM君の頬を撫で、そうするうちに、
腹の底から絞るような声が堪らず出てしまったのです。
「M、M、M!!」
と、彼の名を呼びました。
じっと気丈に涙をこらえる奥様の前で、大変な醜態を見せたものです。
それに恥じ入った僕は、式の1週間後、もうお花も枯れるころだろうと、
奥様へお花をお贈りして詫びました。
「困ったことがあれば、何でも言ってください」
M君の代わりにはなれないけれど、
せめて、相談の相手にはいつでもなって差し上げたいのが、
友人としての僕の本心です。