それは、私が生まれてこのかた体験したこともない、
大規模な台風だったと記憶している。
その前日、雨戸の閉めきり、植木の避難、車の移動、食糧の確保
などなど全てに余念がなかったはずである。
そんな状況の中で、父が突然「車が瓦に当たっている」
という言葉を残して、外に飛び出してしまった。
あっという間のことに誰も止めることが出来なかった。
それからしばらく経っても、父は戻ることがなかった。
家中に不安が漂い、父に災害がふりかかったであろうことは、
家族の誰もが認めていた。
一番上の姉は、電話を手にし、110番に助けを求めた。
頬には一筋の涙が伝っている。
無情にも、
「この台風ではとても出動できそうにありません」
という返事しかもらえなかった。
二次災害の恐れがあると、頭で分かっていても、
大自然の驚異に触れて無力すぎる私たち。
信仰心の厚い次女は、ただ一人仏間にこもり、神仏に祈り続けていた。
末の妹は、私の胸に顔をうずめて泣きじゃくるばかり。
先に泣かれてしまい、私の涙は行き場を失った。
父との幸せな日々、突如ふりかかった災害、将来への不安、
次から次へと頭の中をよぎった。
車一台のために、かけがえのない命を失ったかと思うと、
どうして、あの時引き止めなかったかと、後悔ばかりが心を占めた。
そんな中で母は、雨合羽をはおり、今にも外に飛び出さんばかりの勢いである。
父ばかりか母までも失ってしまうのではないかと、
四姉妹は必死に母親にしがみついた。
しかし、母の父への愛情は、
私たち四つの力を合わせても止めることは出来なかった。
なんと、小さな母は私たちを振り切って外に飛び出したのだ>>>
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母が飛び出した次の瞬間、私たちは信じられない光景を目にした。
父と母が抱き合う、その姿は映画のワンシーンのようであり、
私たちの目を釘付けにした。
父が嵐の最中に何をしていたかなど問題ではなかった。
ただ父が無事であったことがとてもうれしかった。
その日は夜遅くまで、家族の誰もが、
その時の心境やその場の行動を何度となく口にし、
今ある幸せをかみしめていたものだ。
夫婦喧嘩、親子間、姉妹間のケンカは日常茶飯事であったが、
誰一人として欠くことの考えられない、
かけがえのない、大切な家族であることを心から感じることができた。
私たち家族が一体化した台風の日の出来事であった。
あれから七年、四姉妹は親元を巣立ち、それぞれの道を歩み始めている。
誰もが”忘れることのできない日”として心に深く刻んでいると、
私は信じている。