爺ちゃんの形見の腕時計を僕が引き継ぎます

a920
は小さい頃、一人っ子で両親共働きだったから、
一般に言われる鍵っ子ってやつでした。

だから、ちょっと内気で友達もできなくて、
よく爺ちゃんの家に行ってました。

爺ちゃんは会社の社長で、忙しかったけど、
僕が行くと、必ず一緒に遊んでくれました。

しかも、小遣いまでくれるもんだから、
調子に乗って、ほぼ毎日行ってました。

中学に上がって、だんだんグレかかり、
次第に爺ちゃんの家から足が遠ざかるようになりました。

小遣いが欲しい時だけは、相変わらず調子よく、
爺ちゃんの所に顔を出しました。

そんな感じの日々が続き、僕が中三の時でした。

爺ちゃんが突然倒れて、病院に担ぎ込まれたとのこと。

さすがにその時は、ソッコーで病院に駆けつけました。

だけど、爺ちゃんは案外ケロッとしてて、
僕はすっかり肩すかしを食らった感じでした。

それからは、小学校の時のように、
僕は毎日、病院に爺ちゃんの顔を見に出かけました。

ある時、ちょうど受験だったこともあり、
爺ちゃんが僕に高校の話を振ってきました。

「めんどいから、高校なんていかねぇ」と僕は吐き捨てました。

そうしたら、いつも温厚な爺ちゃんの表情がサッと変わりました>>>

スポンサーリンク

↓Facebookの続きは、こちらからどうぞ↓

い眼を光らせた爺ちゃんは、僕をガツンと叱りつけたのです。

「めんどいってなんじゃ!

 逃げとるだけやろうが!!

 男なら逃げるな!」

そして、いきなり、今までしたこともない
戦時中の話まで語り出したのです。

その時の爺ちゃんの話は、よく覚えています。

爺ちゃんは、シベリアで捕虜になったそうです。

そりゃもう悲惨な状況だったとのこと。

捕虜の中には、家族を持った人、
もうすぐ生まれてくる子供を持つ人、
…そんな戦友がいたけど、みんな現地で死んだのです。

爺ちゃんは、もう涙も出ないくらい悲惨な思いに陥り、
何度も何度も死のうと思いました。

だけど、そんな時、いつもお守りとして持ってた腕時計、
それを見て、爺ちゃんは唇を噛みしめ、
「俺は生きるぞ!」と決意したのでした。

その時計は、爺ちゃんの親友の形見だそうです。

爺ちゃんと、その親友は幼いころから、一緒に悪さしたりして、
近所でも有名な悪ガキ二人組でした。

戦争が激化して、爺ちゃんも親友も、戦争に行くことになりました。

親友は、海軍に志願して、結局、特攻の道を選ぶことになりました。

最後の別れ際、親友は爺ちゃんにこう言いました。

「俺は空から、お前は陸から・・・
 心配すんな、俺がぶっ壊してやる。
 靖国で待ってるなんて言わない。
 お前は不死身だからな」

笑いながら、そのとき親友は、腕時計を爺ちゃんに渡したんだそうです。

その後、爺ちゃんはシベリアに抑留されても、
腕時計だけは取られないように、隠し持っていました。

「捕虜になるなら切腹しろ」

などと言われてたけど、

「こんなところで、日本男児がくたばってたまるか!」
と思いつつ、生きながらえたそうです。

僕は、バカだから、その様子を想像することもできず、
だけど、爺ちゃんの語り口から、その迫力に気圧されて涙をこぼしました。

爺ちゃんも泣いてました。

僕は、その話を聞いて、なぜか勉強する気になったのです。

毎日、爺ちゃんの病室のベッドの横で勉強しました。

だけど、僕のやる気と反比例するかのように、
爺ちゃんは、日に日に体が弱くなって、
しゃべることもままならなくなっていきました。

僕の受験前日のことでした。

爺ちゃんは、体を震わせてながら、
声もかすれながら、手を上にあげて、
誰かの名前を呼んだようでした。

僕が「爺ちゃん、何?」って聞いたら、

「ようやく、お前に顔向けできるな」・・・と。

たぶん、僕と親友とを間違えていたんだと思います。

その夜、爺ちゃんは、息を引き取りました。

91歳でした。

思い起こせば、スゴイ爺ちゃんだったと思います。

シベリアから帰ってきて、
何も無いところから始めて、会社起こして、
僕の母やら叔父、叔母やらを育ててきたのです。

爺ちゃんが亡くなって、僕は初めて「闘う」
という意味が分かったような気がします。

腕時計は僕が引き継ぎました。

僕にとっては、かなり重い腕時計です。

だけど、爺ちゃん、

爺ちゃんの親友に顔向けできる男になれるように、僕も闘ってみます。

スポンサーリンク