五年生のK子さんが次のような作文を書いてきました。
「私の家では小鳥を飼っています。文鳥とカナリアです。
水やエサをやるのは私の仕事です。
この間、私はエサをやるのを忘れていました。
そのために、カナリアが死んでしまいました。
その次の日の朝、ご飯を食べているとき、お父さんが言いました。
今日はみんなが昼飯抜きだ。
カナリアがお腹をすかしてどんなに苦しかったか、
その気持を味わってみるんだ。
私は給食の時、先生にわけを話そうか、どうしようかと迷いました。
でも、とうとう言えずに給食を食べてしまいました。
学校から帰って、夕飯の時間にみんなが顔をそろえました。
お父さんが、
僕は朝言ったとおり、お昼を食べなかった。みんなはどうだった?
と聞きました。
お母さんもお姉ちゃんも食べていませんでした。
食べたのは私だけだったのです。
カナリアを死なせた張本人が食べてしまったのです。
私はとっても恥ずかしくなって、ごめんなさい、お父さん、
と言って泣いて謝りました」
K子さんは、泣いて謝ったその次の日、
担任の私のところへ、やってきました。
そして、私に申し出たのです>>>
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K子さんは、担任の私のところに来て、
「今日は給食を食べなくていいですか?」と言って来たのです。
なぜ?と聞く私に、K子さんが渡してくれた原稿用紙、
実はそれが、この作文だったのです。
私はK子さんの作文を読んで、自分と比べて
何と立派な父親なんだろうと感動しました。
もしも自分がK子さんの父親だったとしたら、
こんなふうにしただろうか。
こんなふうに自然に、しかもきっぱりと、
子供の前に父親としての姿を見せたことがあっただろうか。
同じ父親としての日頃の自分のありようを省みて
恥ずかしく思いました。
K子さんのお父さんは、とても子煩悩で優しい父親です。
会社の社長さんで、とても忙しい人です。
それでも朝の散歩に連れて行ってくれたり、
健康のためにと通っているプールへ誘ってくれたりします。
「私はお父さんが大好きです」
とK子さんは書いています。
それぞれの家庭に、それぞれのありようで父親が居ます。
その父親像はさまざまです。
K子さんの父親には、自分は父親としてこういう生き方をするんだ、
こういうことを大切にしていきたいのだ、
という原則のようなものが感じられます。
家庭は心の庭でありたいものです。
そして、その中心にはやはり優しさと厳しさを持った
父親の匂いが必要ではないでしょうか。
参考本:心にしみるいい話(全国新聞連合シニアライフ協議会編)
「父親の匂い」を下敷きにしています。