当時私は30歳、ある銀行の関西の支店で貸付係員でした。
既に仕事の経験も十分に重ね、それなりの自信をもっていました。
猛暑のある日、取引先が倒産しました。
初めての経験で、それまでの自信はどこへやら、焦燥感はピークに。
まずは情報入手が先決と、先方の経理担当専務を探しまわりました。
日に何回も、数日にわたり追いかけましたが、まったく連絡はとれず。
この専務を探すのをあきらめかけてたある日、
疲れ果てた様子で、汗みどろの専務が来店してきました。
T課長と私とで専務に面談しました。
何日も連絡してこなかった専務に対して、私はいきり立ち、
「何で連絡を・・・・・・」
と言いかけたとき、T課長は私を制して、
静かなゆっくりした声音で口を開きました。
「専務、お疲れでしょう。どうぞここではゆっくり
お身体を休めて下さい。冷たいお茶をどうぞ・・・」
突然、専務の目から大粒の涙が・・・・・・。
この情景を目の前にして、私は自分の苛立ちはどこへやら、
心底参ったと思いました。
T課長はすごい!と心に強く刷り込まれたのです。
その後もT課長の、心が弱った人への配慮のほどを
示すエピソードを数多く見せてもらいました。
まさか、私のプライベートなことで、
それを体験するとは思っていませんでしたが…>>>
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取引先の倒産事件があって約1年後、倉敷で生活していた私の祖母が亡くなりました。
私は一人っ子で生後60日目に父が死亡し、母は実家へ帰りました。
それから私は、祖父母に育てられたのです。
私が喪主として、祖母の葬儀を行わなければなりませんでした。
真夜中の連絡だったこともあり、葬儀費用も引き出せないまま、
T課長に忌引き休暇をお願いした後、車で帰省したのです。
村の人たちにも助けてもらい、何とか葬儀を行うことができました。
色んな田舎ならではの行事などを終え、一息ついていた時でした。
そこに「銀行の人が来られている」と連絡がありました。
何と、T課長が大阪の東の端から数時間かけて、喪服姿で来て下さったのです。
しかも、私が葬儀費用を引き出せなかっただろうからと、
数十万円を用意して「どうぞ使ってください」と・・・。
涙がこぼれてやみませんでした。
その後、T課長は銀行を定年退職後、奥様とともに田舎に帰省されました。
T課長の田舎のお宅には、毎年お訪ねしており、
子供たちもTおじさんのことをすっかり好きになっています。