実家が共働きの居酒屋で、僕が中学生のころ、
週末は小遣い稼ぎを兼ねて、居酒屋の仕事を手伝っていた。
母親が急病で入院したときなどは、
母親の代わりに連日鍋を振ったりもした。
その日も、僕は居酒屋の手伝いをやっていた。
そこに以前から、どうも好きになれない客が入ってきた。
この客は、閉店間際に遊び友達を連れてきては、
明け方近くまで居座ったり、オーダーにしても、
メニューにないものをしつこく注文したり。
よくは知らないけど、この辺りでは
有名な資産家の家に住んでるらしい。
子供ながらに、この客のワガママぶりが見てとれた。
この客の従業員イビリをかわしつつも、そろそろオアイソかな、
というころ、この客が煮込みを注文してきた。
煮込みは親父の自慢の一品だった。
以前、仕込みのときに、
「これは俺の自信作だ。これひとつでも
店を引っ張ってく自信があるぞ」
ってなことを親父が言っていた。
ふだん、めったに自分のことを語らない親父の言葉だったから、
それが珍しく、僕はしっかりその言葉を覚えていたんだ。
その煮込みが出来上がり、
その客のところに持って行った。
そうすると、その客から持ち帰り用の
ケースを持ってこいと言われた。
僕は持ち帰りにして食べるのだと思っていた。
ところが、そうではなく、ケースに残りの飯を入れ、
その上にさっきの煮込みをぶちまけた。
そしてこう言った。
「ここの料理は飼い犬にも評判いいぞ」
その場にむせかえるようなアルコールの気にやられたのだろうか、
僕は何かが、体の中でカッと熱くなるのを感じた。
客商売で、客に手を挙げることがどんなことか、
自分なりに知っているつもりだった。
しかし、そのときの僕の怒りは、
ちっぽけな中学生の自制心をとどめるには及ばなかった。
気づくと、僕は当時知ってる限り
最悪の罵声を浴びせながら、
その客に殴りかかっていた。
でも所詮は子供の力、ほどなく別の客に押さえつけられ、
そして厨房から駆け付けた親父に僕はボコボコにされた。
結局その日は母親に手をひかれ、店を後にした。
風呂にも入らず、部屋に横になって、
ひとしきり冷静になった。
そうすると、自分のしたことの愚かさに苛まれ、
いろんなことが悔しくて、ボロボロ涙がこぼれた。
仕事の性質上、親父は夜の人間なので、
僕が目を覚ます頃には眠っている。
結局、それ以降、何も話すこともなく
日常の生活へと戻っていった。
翌週の休日のこと、
親父の誘いで仕入れにつきあった後、
初めて焼き鳥屋に連れて行かれた。
…まだ中学生なのにね。
無口な親父が、僕を焼き鳥屋に連れて行き、何を話そうというのか?
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僕は、焼き鳥屋に不似合いな
カルピスソーダを注文して、親父の小言を待った。
だけど、親父は先週のことについては、
何も言ってこない。
つまみも尽きたころ、顔をそむけたまま、
堪えられず自分から切り出した。
僕が言葉に詰まっていると、
親父のでかい手がぽんと頭に乗った。
そのままぐりぐりと頭を撫でているのがわかる。
顔を向けると、仕事以外では
久しぶりに見る親父の笑顔があった。
これ以上ならないだろうと思われる
細い三日月の形の目だった。
ほんの一瞬だけど、親父ごめんと、
僕は同じような三日月目で応じた。
そのまま話らしい話もせず、店を出た。
帰り道、煮込みの作り方をなんとなく聞いたけど、
企業秘密とかで教えてもらえなかった。
親父のシケギャグも久しぶりに聞いた。
いいお客さんにも恵まれ、今でも親父は厨房に立っている。
僕はというと、今、ここで煮込みの見習い店員として修業中なんだ。