ある雨の日の昼下がり、私は伝手を頼って、
横浜・伊勢佐木町の会社に来た。
求職中の私は、何とか採用していただきたかった。
だが「せっかくですが、うちも景気が悪くてねえ」のひと言で、
すごすごと辞去、関内駅でぼう然とたたずんでいた。
「あぁ、会社の倒産が恨めしい。
まして二か月半の給与7万円が約束手形だなんて・・・、
俺はいったいどうすりゃいいんだ!」
家には中学生を頭に三人の子と、内職のミシンを踏む妻が、
今日の結果を待ち望んでいる。
ふと、手帳に挟んだ求人広告の切り抜きを思い出した。
十日ほど前のもので、
「履歴書送れ、追って通知云々。K社・横浜支店」とある。
私はワラをもつかむ思いで、そこを訪ねてみることにした。
雨の中、たどり着いたK社には大勢の人がいた。
受付に申し出ると、
「今日は応募者の面接です。飛び入りの応募は認めません」
と、一蹴された。
「そこを何とか」と押し問答の末、最後に支店長に呼ばれた。
入室し、先の会社で不要になった履歴書を提出すると、
それに目を通した支店長が、
「今のご心境とご希望は・・・」と尋ねた。
私は勤めていた会社の給与7万円が
約束手形で困窮している現状と、
採否の結論を即、知りたいと申し出た。
翌日は休日だった。
「休日明けに連絡します」の回答で、
私は家路についた。
連休明けの昼ごろ、近所の呼び出し電話で、
K社からの「採用内定」通知を受け取った。
指定の日、初出社した私は、先輩から業務規則の説明を受け、
担当する建築現場を一巡した。
その後、現場から帰社すると、支店長から呼ばれた。
勤務一日目だから、
支店長直々の訓示でもあるのかと思ったが…>>>
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入室した私に支店長が言った。
「明日からの勤務頑張ってください。
過去に囚われて業務に支障があっては双方のマイナスです。
まことに出過ぎた行為ですが、ここに三万円を支度しました。
十分とは言えませんが、当面の生活費の足しにしてください…。
ただ、このお金は差し上げる訳ではありません。
その代わり、返済期日も利息もありません。
返せるときに元金だけ返してください。
大勢の応募者から、あなたを選んだ私の目に
狂いがなかったことを期待しております」
と支店長はその金を、私の手に握らせた。
私は感極まって涙があふれ、お礼の言葉さえ言えず、
ただ頭を下げるだけだった。
そしてこの人のためなら、一身を捧げることを誓った。
その半年後、お金は返済。
会社は順風満帆に見えたが、その十数年後、本社が倒産。
横浜支店も閉鎖した。
あの支店長も、古希を待たずに逝去された。
しかし、私は支店長から学んだ
「人を思いやる心」は生涯忘れない。