障がいを持つ子供たちの施設「ねむの木学園」をつくった宮城まりこさん。
2020年の3月21日、自分の誕生日の日に93歳で亡くなられました。
その若いころのお話です。
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誰もやらないことを新しくやろうとするとき、
必ず発生するもの。
そう、それは逆風です。
魂の底からこみ上げる思いで「ねむの木学園」を設立した宮城さんですが、
当初は、皆から反対もされたし、冷ややかな目で見られました。
おそらくマスコミも上っ面の興味半分で、
宮城さんの行動を見ていたのかもしれません。
どうせ、女優の気まぐれな思いつき、
そのうち、尻尾を巻いて逃げだすに違いない、
そんなことがささやかれ、孤独な宮城さんでした。
ある世界的に高名な事業家の方も、
「あんたは歌を歌って皆の心を幸せにしている。
それだけで充分に素晴らしいことや。
他のことはやめなはれ」
よくそうたしなめられたそうです。
しかし、この事業家の方が、他の遠巻きの野次馬と違ったのは、
陰でコソコソ言うのではなく、嫌なことも直言してくれることでした。
そしてその方は、口とは裏腹に、
本当は、自分に成功してほしいという思いを持っていた。
宮城さんは、その方のちょっとした会話と、
温かい眼差しからそう感じていました。
その事業家の方とは、松下幸之助さんです。
松下電器がスポンサーになった番組に出演したきっかけで、
松下幸之助氏とのご縁ができていたのです。
「ねむの木学園」がスタートして間もない頃のことを、
宮城さんが下記のように述べています。
とにかく私にはお金がありませんでした。
いくら稼いでも一人で学園を運営していくのは苦しいものです。
いざ始めるととにかく足りないものが山ほどある。
でもそれを揃えるお金などありません。
とうとう私は借金をしようと考えていたのです。
そんな時に松下さんが私におっしゃいました。
「今、あなたが必要だと思うものを、
すべて頭に叩き込んで明日来なさい」と。
意図が分からないままに、とにかく翌日、
品川の東京本社に出向きました。
案内されたのはいつもの社長室ではなく、大きな会議室。
デスクの向こうには松下さんが座っていらっしゃる。
「さて、聞きましょうか」
そう言った松下さんの顔は、
いつもの優しいお爺ちゃんではなく、
世界的な経営者の顔でした。
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私は緊張しながら必要なものを挙げていきました。
もちろんその値段もです。
子供たちの様子をいつまでも見られるような
モニターシステムも必要でした。
生活のための家電製品もまったく足りていませんでした。
とにかく必要だと思うものを、小一時間かけて私は並べたのです。
私の要望を最後まで聞いて下さった松下さんは、
ニッコリとしておっしゃった。
「お金の算段が苦手なあんたが、
そこまで覚えられたのなら、それでよろしい」
やっといつもの優しい松下さんの顔に戻っていました。
経営の神様から見れば、私がやろうとしていることが
危なっかしく思えたのでしょう。
そして、
「よろしいか。お金は貸しても、借りてもいけません」
とおっしゃいました。
経営者としての強さ、そして人間としての優しさ、
その両方を持っているお方でした。
それから数日後、私が言った必要なものすべてが、
「ねむの木学園」に届けられたのです。
宮城まり子さんと松下幸之助氏とのこんな交流、
この話は、初めて聞きました。
宮城さんの、若くて真っ直ぐな情熱を大切にしようとする
松下幸之助翁の柔らかい表情が目に浮かぶようです。
そして、どんな場面にあっても経営の神様は、
神様らしい行為で、周りに影響を及ぼすものだと思いました。
参考:PHPプレミアム「明日も前向き!」
(PHP研究所)