あれは、私が小学校低学年の頃でした。
その頃、父は友人の裏切りにより、事業を失敗し、
沢山の借金を抱えていました。
夜遅くまで金策に駆け回る父、いつも母と二人で留守番でした。
表の戸をドンドンと叩く音に、電気を消して怯えながら、
二人で抱き合ったこともありました。
ある夜のこと、その時は一人で留守番をしていたのです。
ラジオからは「お父さんはお人よし」のドラマが流れていました。
玄関の戸を荒々しく叩く音。男の人の声がします。
「お父さんもお母さんもいません!」と精一杯の声を上げて答えても、
その人は納得しませんでした。
「隠れているのはわかってるんや、開けんかい」
その声で、仕方なく戸を開けると、男の人はズカズカと家に上がり込み、
家を一回りして私のところへ来て言いました。
「そうか、やっぱり留守か。…だけどな、子供の使いやあるまいし、
手ぶらでは帰れへんなぁ」
その男の人は、そんなことを言って辺りを見回すと、
ラジオのスイッチを切り、
「これを貰っていく。ワシが持っていったとお父さんに言うとき」
と言って、帰っていきました。
私はただ黙って、うつむくばかりでした。
それからしばらくして、両親が帰ってきましたが、
その話を聞くと、悲しそうにうなずくだけでした。
遅い夕食をすませた頃、一人のお客様が来て、
玄関の方からその話し声が聞こえてきました。
お客様は、先ほどラジオを持ち帰った、あの男の人だったのです。
私は、反射的に身を固くしました>>>
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その男の人は、先ほどと違い、おだやかな語り口でした。
「あのなあ・・・うちのカアちゃんが
『なんぼ、お金を貸した取り立てやいうても、子供一人いるところからラジオを持って
帰ってくるような人とは、思わんかった。そんな人とは結婚した覚えはない。
そのラジオ返しておいで!』いうねん。
『遅いから、明日返しにしにいく』いうたら、
『あかん、今返してこんと、今日から主人やとは思わん』言うんや。
家へも入れてやらん、言うねん。ワシも恥ずかしい事をしたと思うたんや。
嫁はんの言うとおりや。お嬢ちゃん、すまんことしたなあ・・・堪忍な」
その小父さんは、私のおかっぱの頭をなでて言うのでした。
私は、この人のお嫁さんは、きっと優しい人に違いない。
私も大きくなったらきっと、こんな優しい、
いいおばちゃんになろう、
子供心にも、そう思ったことでした。
静かに戸を閉めて帰るその男の人に、私は思わず、
「おじちゃん、おおきに」と言っていました。
その人は大きく頷いて、夜の闇の中へ帰っていきました。
小さいながら、あの日の恐ろしさは、いつまでも覚えていて、
借金だけはするまい、と決心したものです。
顔も見たこともない、おばちゃん。
怖いおじちゃんを本気で叱ったおばちゃん。
大きくなったら、あんな人になろうと私に誓わせたおばちゃん。
それにしても、忘れ得ぬ人の一人を持っている私は、
幸せではないかと思います。
そして私自身も、誰かにとって、
この「おばちゃん」のようになれたらと思わずにおれません。