プロレスは勧善懲悪というか、善玉と悪玉がはっきり分かれていて、
全盛期のころは、善玉が悪玉をこっぴどくやっつけて、
ファンの溜飲を下げていたものでした。
しかし、ある程度ファンの目が肥えてくると、
悪玉の中にも、人間性を感じさせるキャラクターが登場したり、
かなり実力派の悪役レスラーが登場したりと、なかなか見どころが豊富でした。
上田馬之助という悪役(ヒール)のレスラーがいました。
この人は、リング上で、タイガー・ジェット・シンという
インドの超悪役レスラーとコンビを組んで、
アントニオ猪木など日本人の善玉レスラーに
さんざん悪さを仕掛けていました。
レフェリーの見えないところでの凶器攻撃や、
目を覆うような流血・反則行為。
すっかり上田馬之助は、日本中からの嫌われ者でした。
でも本来は、この人も表舞台の悪役の姿と裏腹に、
善良で真面目な性格の人でした。
この馬之助さん、最後は交通事故で車いす生活を送ることになります。
交通事故で瀕死の状態から、
不屈のリハビリで回復したのは奇跡的なことでした。
馬之助さんは、自分の体験を活かしたいと、ボランティアで、
交通事故の後遺症に苦しむ人たちへの講演も行っていました。
大阪での講演のとき、一人の老人から激しくののしられたことがありました。
「悪いことばかりしたから、そんな風になったんだ!!」
もうプロレスが出来ない体になった元レスラーに、
そして悪役はあくまで表向きの顔でしかなかったのに、
車いすの大男には、それは酷な言葉だったに違いありません。
それほどに、お茶の間には馬之助さんの悪役が行き渡っていたのです。
馬之助さんは、黙ってうつむきました。
その時、奥様が付き添っていましたが、
後日、馬之助さんの気持を、実にうまく代弁しています。
そのひと言だけで、深い夫婦関係を感じさせてくれます>>>
↓Facebookの続きは、こちらからどうぞ↓
「夫を本当の悪人と思いこんでいたんですね。
昔の人は今より真剣にプロレスを見ていたのです。
裕司さん(馬之助の本名)は内心では、喜んでいた気がします」
2011年の12月に馬之助さんは、71歳で死去しました。
馬之助さんが亡くなったとき、
それに東日本大震災があったときも、
真っ先に連絡をくれたのは、なんと極悪コンビの片割れ、
タイガー・ジェット・シンだったとのこと。
亡くなった時などは、ずっと涙声の電話だったそうです。
馬之助さんが亡くなる前夜のことです。
自分の死期を悟ったかのように、
15年以上に渡り、昼夜を問わぬ
自宅介護を続けてくれた奥さんにこう言いました。
『俺は「上田病院」で暮らせて幸せだった。ありがとう』
胸下付随で激痛に耐える日々だったのです。
それでも「幸せだった」というメッセージは、
奥様への深い愛にほかなりません。
「上田病院」には、奥さんというかけがえのない
看護師、介護士が寄り添っていたのでした。