鶴太郎さんは、なぜ多彩な才能を発揮できるのでしょうか?

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岡鶴太郎さんは、多彩な才能の持ち主ですね。

お笑い芸人からスタートし、
演技派の役者としての位置も確かにしました。

ボクシングのプロライセンスを取得するかと思えば、
絵画の才能まで花開かせています。

持って生まれたものに非凡なものがあるのでしょうか。

鶴太郎さんの談話を聞くと、どうもそうではなさそうです。

いつも壁にぶち当たったり、悩みもがきながら、
何か生きる手応えを求めた結果、いろんな才能を開花させているようです。

まずお笑い芸人としてブレイクした二十代の時には、
テレビ出演のオファーが殺到し、生活が一変しました。

着る服が変わり、取り巻きも増えました。

毎晩のようなどんちゃん騒ぎ。

巨大な渦に巻き込まれるような感覚の中で、
鶴太郎さんの中の『腹の主』が問いかけたそうです。

「お前はほんとうにこのままでいいのか?」

三十代の時に連続ドラマ「男女7人夏物語」へ
出演したのが転機でした。

定九郎という青年の役を演じ、演技することに目覚めたのでした。

役者への道を真剣に歩みたい。

そう思った鶴太郎さんは、役にのめり込むとともに、
身体を絞るためにボクシングを始めました。

トレーニングをしていくと、肉体は日に日に研ぎ澄まされていきます。

体重は半年で8キロ落ち、頬は削げ、脂肪はすっかりなくなりました。

それは同時に、お笑い芸人としての生き方と
決別することでもありました。

芸人としては、もう人前で笑いをとれないかもしれません。

それでも『腹の主』は「ボクシングをやれ」「役者を目指せ」と
鶴太郎さんに命じていたそうです。

そして、四十代に差しかかる頃、
不思議な寂しい感覚にとらわれるようになりました。

仕事は二年先まで入っていました。

その波に乗っていれば、きっとどこかに運んでくれるはずでした。

でも鶴太郎さんは考え込みました。

目先の仕事はあるけれど、自分の「生き方」が見えてこなかったのです。

たとえ役者として成功しても、芸能界で地位を築けても、
そんな肩書が何の役に立つのだろう。

他人はどうあれ、自分という人間はこう生きていくという、
確かなものが欲しかったと言います。

毎朝、自信のない朝を迎える日々が続きました。

無常観を両手に抱えて、京都の寺で座禅を組んだこともありました。

死というものに思いを巡らせることもありました。

鶴太郎さんは、そんな時に、
ふと見た月の美しさに心が留まったそうです。

あるいは、庭に咲く一輪の花の凛とした美しさに
心ひかれてしまったそうです。

この美しさを描いてみたい。

自然な気持がこみ上げてきました。

「描いてみよう」

この時も『腹の主』の声に従い、
夢中で筆をとりました。

それが絵との出会いであり、
まるで真っ暗闇の中で光る花火のようだったといいます。

こうしてみると、鶴太郎さんの人生の節目には、
必ず『腹の主』の声がささやきかけるようです。

そして、鶴太郎さんは、その声に素直に従います。

それにしても、その時の集中力には、
並々ならぬものを感じさせます。

鶴太郎さん曰く、自分の行動の原点は中学生の時にあったとのことです。

学年でもビリから二番目の成績だった鶴太郎さんでした。

そんな鶴太郎さんに、将来を決定づけるような、
どんなことが起きたのでしょうか?>>>

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戸っ子だった鶴太郎さんのお父さんは、寄席が大好きでした。

鶴太郎さんも幼い頃から、お父さんに手を引かれ、
浅草の演芸場に通いました。

その影響もあり、芸の世界に憧れを抱き、
将来は、芸人か役者になりたいと強く念じるようになりました。

小、中学校とまるで勉強をすることがなく、
そのツケは高校受験を前にやってきました。

私立高校に通わせてもらう余裕は家にありません。

また学年でビリから二番目だった生徒が、
難しい都立の高校に入れるはずもありません。

とたんに鶴太郎さんは、自分の将来について
猛烈な危機感を覚えたそうです。

その危機感とはこんな感じです。

将来もしも名前が売れたら、
色々なところでプロフィールを書くことになる。

最終学歴が中学卒業では、
あまりにも格好がつかないじゃないか。

中学三年の夏休み、
鶴太郎さんは、生まれて初めて
勉強というものに向き合いました。

中学生どころか、小学六年生の問題すらわかりません。

神田の三省堂に行ってドリルと参考書を買い、
小六の算数から学び直すことにしました。

それから中学一年、二年と順番に勉強していきました。

夕方の4時から机に向かい、
気がついたら夜が明けている。

毎日12時間以上も机に向かう日が続きました。

夏休みが明けて二学期になると、
鶴太郎さんの成績は、なんと学年でトップ10名に入っていたのです。

先生や友達は一様に驚き、そして翌春、
めでたく志望していた都立高校の門をくぐることが出来ました。

鶴太郎さんはこう述べています。

「今から思えば、この時の経験が僕の人生の
 大きな核になっている気がします。
 本気で努力すれば、必ず夢に到達できる。
 そういう自信を持つことができたからです」

鶴太郎さんには、座右の銘にしている大切な言葉があります。

汝の立つところ深く掘れ、そこに必ず泉あり

どこか別の遠いところに泉があるわけではない。
今、自分が立っているその場所にこそ、泉が眠っている。
そこを深く掘れ。必ず泉に到達する。

高校受験の時に、泉を見出したときの喜びを知り、
その「コツ」が、将来の鶴太郎さんの人生の節目に力を発揮させたようです。

参考本:PHPベストセレクション「明日も前向き」
「”腹の主”の声を聴け」を下敷きにしています。

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