マネージャーは役者さんの便利屋ではなく・・・

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ー大柴といえば
「テンション高く、イングリッシュを交えて
 暑苦しくしゃべるヘンなやつ」
というイメージを抱いている人が多いかもしれません。

ルー大柴さん、もともとは役者志望で
芝居漬けの日々を送っていましたが、
まったく売れません。

頭の中のイメージは世界的スターなのに、
現実は家族も満足に食べさせられない始末で、
お母様からは「女房、子どもを泣かすな」
と言われていたそうです。

そこでいったん夢をあきらめ、
ティッシュ配りや結婚式の司会と何でもやりました。

不思議なもので、夢を追いかけるのを止めると、
今度は夢の方が追いかけてきました。

深夜ラジオの出演をきっかけに舞台やテレビからも
声がかかるようになったのです。

その時に生まれたのが『嫌われキャラ』の「ルー大柴」でした。

嫌われてでも世に出たかったのです。

おかげでルー大柴の名は全国区で知られるようになりました。

毎日テレビに出るような日々が五、六年は続きました。

けれど次第に仕事が入ってこなくなりました。

実はルー大柴さん本人が「ルー大柴」に飽きてきたといいます。

最初こそ無我夢中でしたが、いつまでたっても、
「テンションあげてください」と演出される。

売れて有頂天になっていたこともあり、
「うるさいだけが僕じゃない」と不満がたまっていたそうです。

お客様の反応も今ひとつになり、
いつの間にかギャラは全盛の頃の十分の一くらいになりました。

「このままではダメだ」と思うものの、
強烈な「ルー大柴」という個性をどう変えればいいのか、
さっぱり分かりませんでした。

そんな時、新しく事務所に入ってきたのが、
マネージャーのМさんでした。

Mさんは、ルー大柴さんの担当になって間もなく、
ズバッと斬り込んできました。

ルーさん、カッと頭に血がのぼりました>>>

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ネージャーのMさんは、ルーさんに出合い頭、こう言ったのです。

これから何をしたいんですか?
 今のルーさんは中途半端ですよ!

ルーさんは、腹が立ちました。

しかし本気で「ルー大柴」を再生する気持が伝わってきて、
彼と組んで本気で「ニュー・ルー大柴」をつくろうと決意しました。

その時、ルーさん52歳。

本気で、と言いながらまだ妙なプライドがあったのでしょう。

ある時、Мさんがとってきたテレビの仕事に愕然としました。

十数人の芸人たちが詰め込まれた楽屋に案内されたのです。

思わずルーさん、Mさんに「これはないだろう」と、
文句を言いました。

そんな時「すみません」と謝るマネージャーが多いと思いますが、
Мさんは違いました。

今、あなたの置かれてる立場はここなんですよ」と言ったのです。

ルーさん、返す言葉がありませんでした。

そしてようやく自分の状況を正面から受け止め、
「一からやり直そう」と覚悟が決まりました。

以来、ルー大柴さん、いただいた仕事のひとつひとつを
丁寧にやってきました。

NHKの「みんなのうた」で
「MOTTAINAI~もったいない」を唄ったり、
Мさんに勧められて始めたブログが女子高生たちの間で
話題になりました。

暑苦しいトークも「ルー語」として、若い人たちを中心に
再び注目されるようになったのです。

ルーさんは語っています。

「自分の未熟さや世間の評価を受け入れるのは辛いことですが、
 まずはそこをしっかり受け止め、どんなに小さな仕事でも
 ひとつひとつ丁寧にやる。
 回り道のようでも結局はそれしかないんですね」

むしろ回り道の間に何をするかが大事。

ルーさんは五十代で茶道を始め、師範になったそうです。

すぐに役立つわけではないけど、
自分の幅が広がったとルーさんは言います。

引用:PHP特集「少しだけゆっくり生きてみよう」
「回り道が実は近道かもしれない」(ルー大柴) 

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