先生が恥かきになったら、教室が温かくなった

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任教師が、体育主任として運動会を仕切っていくのが、
我が校の伝統だった。

私は、行進、ラジオ体操、綱引き……次から次へと
全校生約200人が参加する種目の指導を行っていた。

しかし、時折、私の指示が違うと、先輩教師から、
全校生徒の前でダメ出しの声が飛ぶ。

そのような状況の中で、私は些細なことで怒りやすくなり、
心のコントロールが乱れ始めていた。

酷いときは、一年生の行進の列が揃わないことに、
怒鳴り声を出す始末だった。

さらに先輩教師に注意されないようにという
自己保身の醜い考えが出始めていた。

私が指導するからには「間違いは許さない」という
愚かな感情が湧いていた。

運動会は何とか終えることができたが、
担任の五年生の子供たちからは、
「やっと運動会が終わった」という感想がほとんどだった。

共に学び、共に育つという学級の機能は薄れていき、
私自身、学校が遠くに感じられるようになった。

子供の教師を見る目は研ぎ澄まされていた。
担任した子供たちは、私のことを、
「この人は、ただ怒るだけの、
 自分たちの存在を認めようとしない大人」
と感じていたようである。

私は、授業になると子供たち全員がボイコットするのではないか、
という恐怖心を抱くようにまでなってきたのである。

そんなときA先生が「若さのない顔をしているな」
と声をかけてきた。

A先生に、今までの現状を話したところ、
A先生のある言葉に私の心は大きく反応した>>>

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先生が話してくださった。

誤答歓迎だよ。
 大人だって間違いや失敗をする。子供ならなおさらである。
 人は間違いや失敗があるから成長する。
 それにね、間違いや失敗は行動した証拠だよ。
 大歓迎しなければ。 
 今、子供たちが生きていることを受け止めなよ」

「誤答歓迎」の言葉に、私の心の中にある醜い塊が
溶けていくような気がした。

翌日、学級目標として、
「誤答歓迎」と書いた紙を掲示板に貼り付けた。

そして朝の会で、私の小学校時代の失敗談を話すようにした。

算数で「円の面積の求め方」がわからず、
テストで35点をとったこと、
掃除のとき、ズボンのお尻が破れているのに気付かず、
下着を見せながら、長い廊下の雑巾がけをしたことなど、
よくもまあ話したものである。

そんな私の失敗談に子供たちが徐々に笑顔を見せるようになり、
朝の笑いの後の一時限目が清々しく感じられるようになってきた。

同時に、授業中の子供たちの発表が多くなっていった。

計算が出来ない子には、子供同士でヒントをだしたり、
国語の授業で、友達と違う意見を述べるときは、
「○○君の考えも分かるけど、
 私はこの表現からこう思います」
という言い方をするようになってきた。

校庭ばかりを眺めていた女子児童は、黒板を向いて、
きれいにノートをとっていた。

あるとき、こんな会話があった。

「先生、一生懸命に頑張って失敗したら、
 許してくれる?」

「当たり前だ。もし失敗を笑う人がいたら、
 先生が代わりに叱ってやる」

「先生、それはないよ。運動会のとき、
 僕たち一生懸命に頑張ったのに、先生、
 いつも怒ってばかりいたよ」

あまりにも強烈で純粋な言葉だった。

あれから三十年。

同窓会が行われ、私も招待された。

当時十一歳の子供たちが今や四十歳である。

孫のいる奥様や会社の社長もいた。

教え子にお酒を注がれながら、
「先生、不思議なの。落ち込んだとき、
 教室の『誤答歓迎』、あの言葉を思い出すの」
と言われた。

そうか、一人一人に「誤答歓迎」があったのだ。

そして教師人生で「誤答歓迎」に最も支えられたのは、
ほかならぬ私であることを、あらためて教えられた。

引用:PHP特集 少しだけゆっくり生きてみよう
「生きる」「誤答歓迎」より

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