おっちゃんも司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は何度も読んで、
泣いたり笑ったりしました。
司馬さんの本を読むと、龍馬というお兄さんは、
結構ヘマをこいたり、ツイてなかったり、
そんなことの繰り返しだというのが分かります。
しかし、どんなマイナス状況も、持ち前の明るさでひっくり返すところなど、
龍馬の大きな魅力のひとつなのでしょう。
龍馬のツイてない話のひとつ。
「いろは丸事件」です。
「カンパニーじゃあー!」と貿易会社・海援隊を立ち上げたものの、
一向に船が手に入りません。
ようやく船を手に入れ、意気揚々と初船出したと思ったら、
その船は沈没してしまいます。
ツイてない男、坂本龍馬、ここにありです。
当時、坂本龍馬32歳。
龍馬は小型蒸気船いろは丸に乗り込み、長崎を出港。
海援隊として初の航海で、隊士たちに、
「♪今日をはじめと乗り出す船は、稽古始めのいろは丸~♪」
という舟歌を歌わせながら、ルンルン気分で船を走らせていました。
ところがなんと瀬戸内海で、蒸気船・明光丸に衝突。
龍馬たちは明光丸に乗り込み、命は助かったものの、
いろは丸は沈没してしまうのです。
何てツイてないんだ、龍馬。
おまけに相手は、江戸幕府の御三家・紀州和歌山藩でした。
脱藩浪士の集まりである龍馬たちに勝ち目はありません。
龍馬、大ピンチの時です。
でも、ここからが龍馬の龍馬たる見せどころです。
龍馬たち海援隊は、明光丸の過失を主張します。
海援隊のメンバーは、事実上、フリーターの集合体です。
徳川御三家VSチーム・フリーター。
普通ならここは泣き寝入りするしかありません。
しかし、龍馬はここであきらめませんでした。
では、彼はここで何をしたか?
案外、アレンジすれば今でも通用するような方法、
笑いたくなるような方法をとりました>>>
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龍馬がここでまずやったこと。
それは作詞作曲だったのです(笑)
船を沈没させられて、賠償金をとるのに、
龍馬は歌を作りました。
「♪~船を沈めたそのつぐないは、金を取らずに国を取る。
はあ~よさこいよさこい、国を取って、ミカンを食らう。
よさこいよさこい~♪」
歌を作って、町でみんなに歌ってもらい、
この事件に世間の注目を集めさせたのです。
それによって、紀州藩を逃げにくくさせました。
相手は御三家、プライドがありますから。
「そんなに逃げていると金を取らずに国ごと乗っ取って、
和歌山のミカンを食べちゃうぜよ、よさこい、よさこい」
と歌ったのです。
それだけではありません。
龍馬は裁判を公平にさせるために、幕府主導ではなく、
「万国公法(今の国際法)」という世界のルールブックを持ち出しました。
龍馬、ただのシンガーソングライターじゃないんです(^^)/
さらにです!
龍馬は交渉の場で仲間にいじめられていたのです。
「龍馬、何をグズグズしてるんだ!アホか、お前!ボケ、カス!」
「龍馬、交渉なんてぬるいぬるい。紀州藩ごとき、国ごと取ればいいぜよ」
こんな感じで、龍馬は仲間に強く責められていました。
交渉の場で、何と仲間にいじめられる龍馬。
すると、紀州藩のメンバーたちは、こう思いはじめました。
「おいおい、リーダーの龍馬があんなにいじめられてるぞ。
海援隊のやつら、怒らせたらヤバいぞ。
彼らの言うことを聞かないとまずいんじゃないか」
実はこれも龍馬の作戦でした。
交渉に同行させた海援隊のメンバーにワザと刀を帯びさせ、
自分を強く責めさせたのです。相手をビビらせるために(笑)
事故から1ヵ月後、紀州藩は海援隊に賠償金を支払うことで事件は落着しました。
いまの億単位に当たるお金です。
何でこんなにお金を取れたかというと、
龍馬がいろは丸の積み荷に、
ミニエー銃400挺を積んでいたと主張したからです。
しかし、現在まで水中調査を4回やっていますが、
ミニエー銃はおろか、ひとかけらの部品さえ見つかってないのです。
つまり、龍馬はハッタリをかませて、積んでない銃のお金まで、
ガッツリいただいたというわけです。
転んでもただでは起きない男。
チーム・フリーター海援隊、
御三家・紀州藩を破る(和歌山県の人すみません(T_T))!
歌って、世界のルールを持ち出して、最後は大芝居!
ちなみに、龍馬は超オンチだったそうですが、
それでも何とも気持よさそうに歌う男だったとのことです。
参考本:キミを救う言葉(SB文庫)
ひすいこたろう・柴田エリー