プロボクシングの元ヘビー級王者、
モハメド・アリさんが2016年の6月3日、米アリゾナ州の病院で死去しました。74歳でした。
戦う男、モハメド・アリは、リングの外でも戦っていました。
ベトナム戦争への反対や、人種差別、
信仰の自由をめぐる言動で注目を集めました。そんな「勇者 モハメド・アリ」の一面をエピソードにしています。
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」
アメリカのボクサー、ヘビー級チャンピオンと言えば、
おっちゃん、おばちゃんの間では、まず真っ先にこの人の名を挙げることが多いでしょう。
モハメド・アリ。イスラム改宗前の旧名は、カシアス・クレイと言いました。
その発言が大風呂敷を広げるやら、言いたい放題の大口を叩くやらで、
「ほら吹きクレイ」と呼ばれていました。
しかし、カシアス・クレイの大ボラは、完全に実力に裏付けられたものだったから、
その人気は抜群だったのです。
1960年、ローマオリンピックで、ライト・ヘビー級の金メダルを獲得したのが、
世間の注目を浴びる出発点でした。
金メダルを獲得して、意気揚々、合衆国に帰国したカシアス・クレイ。
あるレストランで食事をとろうとしたところ、黒人であることを理由に、
入店を拒否されたのです。
「俺は合衆国の名誉の象徴として、オリンピックの金メダルを獲ったのだ。
アメリカの人間が俺にそんな扱いをするというのなら、
俺もアメリカの名誉、金メダルなんか要らない」
そう言って、彼は金メダルを川に捨ててしまいました。
カシアス・クレイ(モハメド・アリ)という人は、
カッと頭に血が上るタイプの男ではなく、
ボクシングのスタイルや、社会的な発言内容から察するところ、
相当な頭脳派の男です。
このとんでもない行為も、ヤケクソで行ったものではなく、
当時まだまだ根強かった「人種差別」に世間の耳目を集めるための
パフォーマンスだったと考えられます。
アメリカ合衆国は、数十年後の「モハメド・アリ」に対して、
特別な形で、彼の気持に答えています>>>
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引退後のモハメド・アリは、パーキンソン病にかかり、長い闘病生活に入ります。
1996年、アトランタオリンピックの開会式のことでした。
この開会式では聖火台の点火者は当日まで秘密にされていました。
女子水泳選手が、点火台まで聖火のトーチを運び上げました。
そして、その選手がトーチを最終点火者に渡しました。
その最終点火者こそ、モハメド・アリだったのです。
彼は、トーチを受け取り、病気のため震える手で、
点火用のトーチに火を点けました。
その時に、彼が金メダルを川に投げ捨てたエピソードも紹介され、
あらためて、アトランタ・オリンピックでの金メダルを再授与されたのです。
金メダルの再授与。
それは、アメリカ合衆国が、当時のモハメド・アリに対し、
謝罪するとともに、人種差別の無い社会の実現を誓うメッセージでもあったのです。
しかし残念ながら、まだアメリカ社会での人種差別・民族差別の問題は、なかなか解消されていません。
まるで振り子のように振れながら、分断と協調の間をさまよっている現実があります。