アメリカを1人の日本人物理学者が研究のために訪れました。
その名は湯川秀樹。
1949年に日本人で初めてノーベル賞を受賞し、
敗戦で自信を失っていた日本人に大きな力を与えた人物です。
そんな湯川の研究室に、「20世紀最大の物理学者」「天才」と評される
アインシュタインが訪ねてきました。
そして彼は湯川の手を握り締めると、涙を流し、肩を震わせながら口を開きました。
それはアインシュタインの精一杯の謝罪の言葉だったのです。
何度も繰り返して、こう言いました>>>
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アインシュタインの湯川秀樹に対する謝罪の言葉とはこうでした。
「罪もない人たちを傷つけてしまった。どうか許してほしい」
アインシュタインの特殊相対性理論は、
原子爆弾の製造にも一役買っています。
またアインシュタインは、第二次大戦時、当時のアメリカ大統領に宛てられた、
原子力開発を促す手紙にも署名をしています。
広島と長崎に原爆が投下されてから、
彼はあの手紙に署名したことを心から悔やんだといいます。
また、彼が原爆開発に直接携わったことはなく、
広島・長崎への原爆投下にも反対していました。
しかし、自分の研究の結果に責任を感じた彼は、
すでに物理学の世界では雲の上の存在であったにも関わらず、
1人の日本人に対して、泣きながら謝罪したというのです。
湯川はノーベル賞受賞後、第一級の物理学者として活躍する一方、
核兵器廃絶を求める平和運動にも積極的に携わり、
核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えた
「ラッセル=アインシュタイン宣言」にも署名しています。
アインシュタインの涙は、湯川の学者としての人生にも大きな影響を与えたのでしょう。
参考本:ちょっといい話 出版:アルファポリス文庫 著者:佐藤光浩