「ガチンコ!」の竹原さん、”がんには負けられない”

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原慎二さんは、数年前「ガチンコ!」というテレビの人気番組に、
ボクシングのトレーナーとして出演していました。

竹原さんは、2014年の2月に42歳の若さで膀胱がんと診断されました。

ステージ4の進行がんです。

5年生存率は4割以下とのことです。

絶望と不安の日々が続き、幾つもの病院を訪ねました。

やがてある病院で治療法が決まり、
抗がん剤や手術を受けました。

結局、希望していた膀胱の温存はできなかったけれど、
転移していた箇所も含め、病巣は全部切除してもらったそうです。

竹原さんは、それまでの人生を振り返り、
手記で次のように述べています。

振り返ってみると、僕の人生は山あり谷あり、
自分で言うのも何ですが、波瀾万丈だと思います。

プロのボクサーを目指し、十六歳で単身、
広島から上京しました。

プロボクサーになれて、ミドル級で無敗のまま、
勝ち進んでいきました。

でも心のうちはいつも不安だらけ。

交通事故に遭って、試合が中止にならないかな、
などとよく思っていたほどです。

そんな僕でも、世界チャンピオンに挑戦する試合だけは、
死んでもいいから勝ちたかった。

闘志満々で臨み、勝って、
世界王者になることができた。

二十三歳の時です。

ところが喜びも束の間で、一回目の防衛戦で負けてしまいます。

左目が見えなくなっていたこともあって、
そのまま引退しました。

結婚したのはそれから間もなく、二十五歳の時です。

芸能活動で身を立てるつもりで、張り切っていました。

しかし、声をかけられることはほとんどなかった。

当たり前ですよね。

で世界チャンピオンでなくなったのだから、
需要がなくなったのです。

仕事もなくフラフラする日々。

貯金を下ろしながら、パチンコしたり、飲み歩いたり。

子供も生まれたのに、情けない有様でした。

これではいけない。

さすがにそう思って、知人が経営する日焼けサロンで
アルバイトをさせてもらいました。

その後、自分の店を持ったり、
「ガチンコ!」というテレビ番組に出させてもらったりして、
人生は好転していきました。

このころは、世間から注目され、
収入も増えて、天狗になっていました。

でも「ガチンコ!」も、ほどなく終わります。

仕事は激減し、収入も再び乏しくなりました。

その後、ジムを開設するなどしますが、
飲み歩く日々は続いていました。

がんが発覚したのはそんな中でのことだったのです。

竹原さんご夫婦は、それまであまり夫婦仲がよくなかったそうです。

ケンカの絶えない夫婦だったと竹原さんが述懐しています。

ところが、竹原さんのがん発覚をきっかけとして、
奥さんの献身的な支えと、ある生活上の工夫が、
夫婦の仲を大きく変えることになりました。

奥さんのその工夫とは>>>

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原さんの手記に、奥さんとのことが書かれています。

おかげで今は、多少の不便はあるものの、元気に過ごしています。

その陰には、妻の支えがありました。

妻はがんの本を何冊も読み込んだり、
インターネットであれこれ調べたりして、僕の病気について、
いろいろ勉強してくれました。

がんが発見されてしばらくは、
ノートに交換日記のようなものをつけていました

「あきらめずに、がんばろう」などと、
お互い書き込んだりして。

俺がこういう状態になったら、こうしてほしい。

死んだらこうしてくれ。

……それまでしたことのない話もいろいろ交わしました。

こんなふうに書くと、夫婦仲がずいぶん良いように
思われるかもしれませんが、実際はケンカの絶えない夫婦でした。

原因はいつも僕。

毎晩のように飲み歩いて、家庭を顧みず、
自分勝手なことばかりしてましたから。

それでも妻は僕を見捨てずに、献身的に
僕を支えてくれました。

今は感謝の思いでいっぱいです。

思うに、新婚時代は別にして、僕と妻が仲良くなったのは、
僕ががんになってからです。

だから、がんにも感謝・・・とはさすがに言えませんが、
妻と再びよい関係が築けていることはありがたく思っています。

ボクシングでもがんの治療でも、
目標を持って立ち向かっているときは、
きつくてもがんばれる。

今の僕の目標は、フルマラソンを走って、
富士山に登ること。

もちろん、ジムをはじめ、テレビ出演や講演など、
仕事にも打ち込みたい。

がんにはまだまだ負けてはいられません。

※竹原さんは、2022年現在、ジム運営並びにタレント活動と忙しく、そして元気な日々を送っています。

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