失敗した!と思いましたが、購入したとき、
ケースの内側に住所、氏名を書いておいたので、
もしかしたら心ある拾い主が届けてくれるかもしれないと、淡い望みを持っていました。
しかし、3日経ち、4日経ち、1週間経っても、どこからも連絡がありません。
やはりダメだったかと半ば諦めていました。
10日ほど過ぎたある日、差出人不明の小さな小包みが届いたのです。
もしやと思いながら開けてみると、
まぎれもなく失くした補聴器が小さな箱の中に、
一通の手紙とともに入っていたのです。
「ありがとう、ありがとう」
私は心の中で大きく叫びました。
手紙には次のようなことが書いてありました。
意外な内容の手紙でした。
その内容とは>>>
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「ごめんなさい。実は10日ほど前、路上で何気なく拾った補聴器、家へ持ち帰って使用してみましたら、それはそれは耳の遠い私が、若いころの耳のように生き生きと全ての音が大きく手にとるように聞こえるのです」
「欲しい欲しいと思いながら、わずかな年金の半分を、世話になっている次男の生活費に充てているので、とても買うことができませんでした。きっと神様が困っている私に恵んでくれたんだわ、と勝手に決め込み、いい気持で2、3日使用していました。時計の針の音も何年ぶりかで聞くことができました」
「でも、夜、床につくと落とした人の顔が見えるようで、だんだん怖くなってきました。どんなに欲しくても、これは人様のもの。一刻も早く返しなさいと良心にさいなまれ、一日遅れ二日遅れ、とうとうこんなに遅くなってしまいました。どうぞこの老婆をお許し下さい」
私は何度も感謝の気持ちで手紙に頭を下げました。
返していただいた嬉しさに加え、正直な気持でお詫びされているその真心に対し、
自然に頭が下がってしまったのです。
いずれの場合でも、自分の罪悪感を吐露するのは大変難しいことだからです。
参考本:涙が出るほどいい話 出版:河出書房新社 「小さな親切」運動本部編