58歳のとき、身体のだるさが抜けず、違和感がいつまでも続いた。
ある日の昼下がり、突然私の視界が勢いよくぐるぐると回った。
驚いたが、少し安静にしていると、めまいはおさまった。
帰宅して、いつも通り、夫婦で晩御飯を食べていると、妻が、
「あなた!口から食べ物がこぼれ落ちているわよ!」
と指をさした。
口元に触れてみると、左側の感覚がなかった。
麻痺していたのだ。
瞬間的に「脳梗塞」という言葉がよぎった。
予感を確信させるような身体の症状と、
それを否定したい気持ちとが葛藤しながらも、
急いで総合病院に向かった。
脳外科の医師は、検査結果を見ながら、無表情な顔で言った。
「脳梗塞です。すぐに入院してください」
私の不安は、現実になってしまったのだ。
ショックで目の前が真っ暗になる。
事実を受け入れられないまま、茫然とする私の横で、
看護師は病室への移動準備をたんたんと進めている。
生まれて初めて乗る車いすだった。
内心「まだ歩けるぞ」と思い拒否したかったが、
そんな気力もなくしていた。
ベッドに横たわるにも、看護師が手を貸した。
「一人でできるのに」と無性に腹が立つ。
ベッドは簡単に降りられないように調整してあった。
私は、特別な患者なのだと思い知った。
早速、点滴が始められる。
看護師が頻繁に訪れ、そのたびに、
私は氏名と生年月日を言わされた。
「バカにするのもいい加減にしてくれ」
と心の中で思った。
私の怒りは、トイレに行くときでさえも、
いちいち看護師を呼び出し、車いすに乗せられることにも向けられた。
おそらく、これらの怒りに、看護師も気づいていたと思う。
とにかく、私は、今までの出来事を消し去りたかった。
こんな状況がしばらく続いたある日、ようやく入浴が許された。
一人で入浴できるものと思っていたが、
看護師のKさんが付き添った。
入浴の手助けをしながらKさんが言ったひと言。
その言葉に私は、はっとした。
そして、その言葉が、その後の私の闘病生活の支えになろうとは、
そのとき、思いもしなかった>>>
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ほんの小さなひと言だった。
Kさんは、
「一人で当たり前にできることほど、
むずかしいことはないですよね」
と言ったのだ。
私ははっとした。
この言葉がとても新鮮に感じられたのだ。
毎日、トイレや入浴など日常的にしていることに、
今まで意識を向けたことがなかった。
入浴を終えてベッドに戻ってからも、
Kさんの言葉が脳裏から離れなかった。
冷静に考えてみると、当たり前にしていることの全てが、
他の人の手助けがあって、はじめてできることだ。
たとえば、食べるという行為も、
農家など作り手の存在が前提にあって、
自分で箸を持ち、口へ運ぶ。
消化し、身体がつくられる。
人は一人きりでは生きられない。
私が当たり前にしていたことは、奇跡に近いことだったのだ。
こう考えたら、今まで悲観的だった気持ちから解き放されて、
漠然とだが、心が軽く、広くなったような気がした。
Kさんの言葉のおかげで、私は大事な身体のことではなく、
プライドが傷つくのが嫌で怒っていたことに気がつき、反省した。
こんな私に対して、今後も当たり前に話しができるようにと、
医師や看護師たちは親身になってくれる。
周りの思いを素直に受け入れないで、
感謝もしなかった自分を責めた。
次第に私は、自然と感謝の心で
接することができるようになっていった。
同時に、当たり前にできるありがたさに気づかせてくれ、
反省までさせてくれた。
Kさんの患者思いで豊かな人間性に感謝した。
退院後も、その一年後に定年退職してからも、
私はKさんの言葉と一緒に歩んでいる。
出典元:PHP特集【一緒にいて楽しい人、ホッとする人】
「誰もが一人では生きられない」より