誰もが一人では生きられない

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8歳のとき、身体のだるさが抜けず、違和感がいつまでも続いた。

ある日の昼下がり、突然私の視界が勢いよくぐるぐると回った。

驚いたが、少し安静にしていると、めまいはおさまった。

帰宅して、いつも通り、夫婦で晩御飯を食べていると、妻が、
「あなた!口から食べ物がこぼれ落ちているわよ!」
と指をさした。

口元に触れてみると、左側の感覚がなかった。

麻痺していたのだ。

瞬間的に「脳梗塞」という言葉がよぎった。

予感を確信させるような身体の症状と、
それを否定したい気持ちとが葛藤しながらも、
急いで総合病院に向かった。

脳外科の医師は、検査結果を見ながら、無表情な顔で言った。

「脳梗塞です。すぐに入院してください」

私の不安は、現実になってしまったのだ。

ショックで目の前が真っ暗になる。

事実を受け入れられないまま、茫然とする私の横で、
看護師は病室への移動準備をたんたんと進めている。

生まれて初めて乗る車いすだった。

内心「まだ歩けるぞ」と思い拒否したかったが、
そんな気力もなくしていた。

ベッドに横たわるにも、看護師が手を貸した。

「一人でできるのに」と無性に腹が立つ。

ベッドは簡単に降りられないように調整してあった。

私は、特別な患者なのだと思い知った。

早速、点滴が始められる。

看護師が頻繁に訪れ、そのたびに、
私は氏名と生年月日を言わされた。

「バカにするのもいい加減にしてくれ」
と心の中で思った。

私の怒りは、トイレに行くときでさえも、
いちいち看護師を呼び出し、車いすに乗せられることにも向けられた。

おそらく、これらの怒りに、看護師も気づいていたと思う。

とにかく、私は、今までの出来事を消し去りたかった。

こんな状況がしばらく続いたある日、ようやく入浴が許された。

一人で入浴できるものと思っていたが、
看護師のKさんが付き添った。

入浴の手助けをしながらKさんが言ったひと言。

その言葉に私は、はっとした。

そして、その言葉が、その後の私の闘病生活の支えになろうとは、
そのとき、思いもしなかった>>>

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んの小さなひと言だった。

Kさんは、
一人で当たり前にできることほど、
 むずかしいことはないですよね

と言ったのだ。

私ははっとした。

この言葉がとても新鮮に感じられたのだ。

毎日、トイレや入浴など日常的にしていることに、
今まで意識を向けたことがなかった。

入浴を終えてベッドに戻ってからも、
Kさんの言葉が脳裏から離れなかった。

冷静に考えてみると、当たり前にしていることの全てが、
他の人の手助けがあって、はじめてできることだ。

たとえば、食べるという行為も、
農家など作り手の存在が前提にあって、
自分で箸を持ち、口へ運ぶ。

消化し、身体がつくられる。

人は一人きりでは生きられない。

私が当たり前にしていたことは、奇跡に近いことだったのだ。

こう考えたら、今まで悲観的だった気持ちから解き放されて、
漠然とだが、心が軽く、広くなったような気がした。

Kさんの言葉のおかげで、私は大事な身体のことではなく、
プライドが傷つくのが嫌で怒っていたことに気がつき、反省した。

こんな私に対して、今後も当たり前に話しができるようにと、
医師や看護師たちは親身になってくれる。

周りの思いを素直に受け入れないで、
感謝もしなかった自分を責めた。

次第に私は、自然と感謝の心で
接することができるようになっていった。

同時に、当たり前にできるありがたさに気づかせてくれ、
反省までさせてくれた。

Kさんの患者思いで豊かな人間性に感謝した。

退院後も、その一年後に定年退職してからも、
私はKさんの言葉と一緒に歩んでいる。

出典元:PHP特集【一緒にいて楽しい人、ホッとする人】
「誰もが一人では生きられない」より

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