両親に聞いた話では、生まれる前に流産してしまった
僕の兄のものということでした。
両親は、その子に名前を付け(Aとしておきます)、
ことあるごとに「Aちゃんの分までアナタも頑張らないと」
などと、その兄のことを持ち出して、
それがウザかったのでした。
そして高校生の頃、典型的なヤンキーになった僕は、
あまり学校にも行かず、遊び歩いていました。
ある日、母親の財布から金を盗んでいるところを、
母に見つかりました。
母は泣きながら、
「あんたこんなことして、Aちゃんに
顔向けできんの?!」
と怒鳴りました。
僕も鬱憤がたまってたし、
反射的につい怒鳴り返してしまいました。
「うるせー!だったら、Aじゃなくて、
俺を流産すればよかったじゃないか!」
売り言葉に買い言葉のやりとりが炸裂しました。
母が、
「そうだね!Aじゃなくて、
アンタが死んでたらよかった!!」
と叫んだその時でした。
僕と母に不思議な体験が舞い降りてきました>>>
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「アンタが死んでたらよかった!」
と母が叫んだ時でした。
「そんなこと言ったらめーーー!!」
という叫び声が頭の中に響いたのです。
舌っ足らずでかん高いその声は、
ほんの幼児のものに聞こえました。
母にも、それが聞こえたようで、二人で、
「え?え?」
と周囲を見渡すと、拝む時以外はいつも閉めている
仏壇の扉がいつの間にか開いていたのです。
それを見た瞬間、母が号泣しました。
おかしくなったのかと思うくらい、
腹から声あげて泣いていました。
ケンカしてたのも忘れて、慌ててなだめると、
「許してくれた…」
「許してくれたんだ」
何回も繰り返し、その言葉を繰り返しました。
そして母は、気持を落ち着けた後、
ポツリポツリと話し始めました。
Aは流産したんじゃなかったのです。
僕と一緒に生きて生まれてきたのでした。
Aと僕とはいわゆる「結合双生児」でした。
でもAの方は、僕に比べて未発達で、
身体もずっと小さかったそうです。
僕の胸の部分に、手のひらくらいの大きさのAが、
くっついているような状態だったそうです。
手術で切り離せば、Aは確実に死にます。
でも両親は、僕のために分離手術に同意しました。
未発達とはいえ、Aは顔立ちもはっきりしていて、
手術前、
「ごめんね」
と謝る母の顔をじっと見ていたそうです。
それから母はずっと、
「Aは自分を切り捨てた私たちを恨んでいるのでは」
という思いがぬぐえなかったのだと言います。
だから僕にも、必要以上にAのことを
話して聞かせていたのだろうと思います。
Aの犠牲の上にある命なのだ
ということを忘れないために。
あの時間、聞こえた声がAのものである確証は何もない。
僕と同い年なら、子供の声っていうのもおかしいし。
でもあの声は、僕たちを恨んだり、
憎んだりしてる声じゃなかったのです。
家族がケンカしてるのが悲しくて、
幼いながらも必死で止めようとしてる、
そんな感じだったのです。
もしあの声がAなら、Aはきっと家族を許してくれていて、
ずっと見守ってくれているのだろう。
だから母も僕も、あの声がAだと信じたかったのです。
僕は声が聞こえた日から、
まじめに学校に通い始めました。
兄貴に一喝(?)されて、もう馬鹿やってる場合じゃない
って気持になったからです。
それから勉強もかなり頑張って、
現役で大学にも合格できました。
合格発表の日でした。
朝からゲロ吐きそうなくらい緊張して、
掲示板を見た瞬間に、あまりの嬉しさに大声を出してしまいました。
「うわあぁあーーーっ!」
変な声が突き上げてきたのですが、
僕のその奇声にかぶせて、
あのかん高い声が
「やったあーー!」
って聞こえてきたのです。
僕は本気で泣きました。
またいつか、声を聞かせてくれると信じつつ。