僕はおよそ20年東京にいましたが、
一度しか上がったことはありませんでした。
でも会社は港区だったから、東京タワーはいつも見慣れた風景の一部でした。
東京タワーは、出来た当時、日本人の誇りの象徴でした。
第二次大戦後、10年。
当時、世界に誇れる工業製品もまだ無かった日本に、
世界一をもたらそうという挑戦が始まります。
世界一の搭、東京タワーをつくろうという史上最大の作戦です。
それまでの日本一の搭は名古屋テレビ塔で180メートルでした。
その2倍近い高さのタワーをつくろうというのです。
台風も来る、地震も頻繁にある、
そんな国で300メートル以上の高さは、
当時の常識として無謀と言われていました。
でも、やると決めたんです。
やるからには周到に組まれた綿密な計画が必要です。
さらにダラダラやるわけにはいかず、早急・迅速な行動力が必要です。
台風の風をまともに受けないように、鉄骨はギリギリまで細くする必要があるし、
地震への強度を確保するために、ミリ単位で組み立てる必要もあります。
そこに4200トンにも及ぶ重量の鉄骨を、一体だれが組み上げるのか?
一体、何人死ぬことになるんだ?
職人さんたちの命を賭けた挑戦が始まりました。
現在でも、東京タワーの特別展望台よりさらに上には、
関係者以外立ち入りできないエリアがあります。
そこには、一枚の金属製の碑銘が打ちこまれています。
刻まれているのは、タワー建設に関わった技術者の方、
職人さんたち96人の方のお名前です。
いかに東京タワー建設が多くの方の血と汗と涙の結晶であったか、
そのことを末永く残し、伝えるための碑銘です。
ところで、東京タワーに使われた鉄鋼の量4200トンと申しましたが、
当時、鉄不足の折、その三分の一強は予想外のものが使われました。
それは、戦後の平和を象徴するものとして、
知る人ぞ知るという原材料調達方法でした>>>
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それは、米軍の戦車だったのです。
戦争による膨大な悲しみを生んできた戦車が、
日本の地で、日本人の手で解体され、溶かされ、
そして、希望のシンボルとして生まれ変わったのです。
悲しみを喜びに再生したのが、あの東京タワーなのです。
「東京に世界一のタワーをつくって、復興の証として日本人に自信を与えたい」
碑銘に刻印された96人の技術者・職人さんたちの
そんな情熱が東京タワーにはこもっているのです。
おそらくスカイツリータワーにも、いろんな思い、
いろんな物語が込められていることでしょう。