お父さん、授業参観日には来てほしい

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の父は、男手一つで私を育ててくれました。

母の居ない私に寂しい思いをさせまいと、
父は一生懸命だったのだと思います。

いろいろと身体の違いや考え方の違いもありますし、
男の父が女の私を一人で育てるのには、
かなり苦労したようです。

当時、私の父は貿易会社に勤めており、
出張を繰り返す日々でした。

そのため、家に帰ってくるのはいつも遅く、
私が寝てから帰宅というのがほとんどでした。

でも私の誕生日には、毎年大きなケーキとぬいぐるみを持って
早く帰って来てくれました。

二人だけの誕生日会。

それはとても質素な誕生日会でしたが、
私には本当に温かく、かけがえのないものでした。

なので毎年その日が待ち遠しく、
私は誕生日までの日にちを指折り数えていました。

私が小学校に通っていた頃、授業参観がありました。

低学年の頃は、父に私の学校での生活を見てもらいたくて、
ずっと来るようにお願いしていましたが、仕事の都合で、
一度も来てもらえませんでした。

高学年になると、父の仕事の事情も分かり、
わがままを言って父を困らせてはいけないと
参観日や学校の行事の話をしなくなりました。

そんな中、授業参観の日にクラスの子は、
親が来ると恥ずかしいのか、母親などに、

「絶対に来ないでっていったのに!」

「どうして来たの?」

など言ってました。

私はそんなことを言えるクラスメイトが羨ましかった。

父がもし来てくれたら、私もそんなこと言うのかな、
と考えたりしました。

そんなことを考えるたびに父の仕事を恨みました。

小学校六年生の時でした。

その年の誕生日、父は早く帰って来ませんでした。

私は父の帰宅を我慢することが出来ず、寝てしまいました。

翌日、枕のそばに、大きなぬいぐるみがあり、
テーブルの上には大きなケーキがありましたが、
肝心の誕生日会をしていないということで、
朝から私は父とケンカをしました。

ケンカといっても一方的に私が怒っているだけ。
私は本当に心無いことをたくさん言いました。

「参観日に来られないなんて、お父さんは親の資格なんてない!」

「お父さんは、本当は私のことが嫌いなんでしょ!?」

父は言い返しもせずに、ただ黙って聞いているだけでした。

そのことに無性に腹が立ちました。

そのころ家事などを父と分担していたのですが、
怒りにまかせて、数日間、すべて放棄してしまいました。

数日後、やっと怒りも冷め、私は元の生活に戻りましたが、
父は普段より忙しくなっていました。

父は、
「これからちょっとの間、帰りがいつもより遅くなるから、
 先にご飯を食べて寝てなさい」
と言いました。

ケンカのことを怒っているのかと思いましたが、
どうやら本当に忙しくなったらしく、
私はちょっと前に捨てた参観日案内のプリントのことを思い出し、
「今年も無理だなぁ」と思いました。

参観日が近づき、その授業内容が、
自分の親についての作文を発表することだったので、
その作文を書くという宿題が出されました。

私はちょっと前にケンカをしたこともあり、
一生懸命その作文を書きました。

私は自分の思っていたことをそのまま言葉に。

母が小さい頃に他界したこと。

父は仕事いつも帰宅が遅いこと。

たまの休暇も疲れているので、遠出をしないこと。

授業参観も仕事が忙しくて来れないこと。

でも誕生日には、とびっきり大きなケーキと
ぬいぐるみを買ってきてくれること。

そんなお父さんのことが大好きだと言うこと……。

参観日の当日、父はいつもの通り出勤、私もいつも通りに登校。

なんてことはない、普通の一日のはずでした。

参観日は、事前に提出した宿題の作文の中から、
先生が数人で選んで発表していくという形でした。

私は、たまたまその中に選ばれて発表しました。

私は父の来ていない参観日に、こんなものを読んでも
意味がないと思ってました。

読んでいるだけで、虚しさがこみ上げてくるのです。

読み終わり、たくさんの拍手をもらいました。

でも、私は父の拍手が欲しかった。
他人の拍手なんて、私には何の価値もないものだったから。

そして、授業が終わり、そのままクラス会をして、
来ていた親と一緒に帰宅という流れでしたが、
いつも父の来ない私には、一緒に帰る友達を奪われるだけの、
つまらない日だったのです。

一人で帰るのかと思うと、本当に泣きそうでした。

一人でまさに涙がこぼれそうになった時でした>>>

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っと涙をこらえ、校門を出たとき、
そこに父が立っていたのです。

私は突然のことで、頭の中が真っ白になったのを覚えています。

父は笑いながら、

「お前の作文を聞いたぞ。
 いつも寂しい思いをさせて本当に悪かったな。
 父さん、一番大きな拍手をしたんだぞ」

私は、いよいよこらえきれなくなり、
堰を切ったように、大声で泣きました。

一緒に歩いて家に帰り、その日の晩は、
この前できなかった誕生日会をしました。

大きなケーキではなかったですが、
父の手料理は、ケーキのことを忘れさせるほど美味しかったです。

その日は本当に幸せでした。

父がここ数日忙しかったのは、参観日の休みをとるためでした。

しかし、私は不思議に思いました。

父には一切、参観日の話をしていなかったから。

私は父にどうして参観日のことを知ったのかと聞きました。

父は、

「お前が家事をしなかった時、ゴミ捨てのためにゴミを集めていたら、
 たまたま捨ててあったプリントを見つけたんだ」

私はなるほどと思いました。

あの時のことがこんな風になるなんて夢にも思いませんでした。

父は私に、

「お前の作文、父さんにくれないか」

と言ってきました。

私は恥ずかしかったのですが、
どうしてもというので父に上げました。

少し前、私は結婚式を挙げました。

その式で父は挨拶の時に、私が上げたあの作文を読みました。

始めはそんなものがまだ残っているなんて信じられず、
ビックリすると同時に、自分の作文が読まれていることが
とても恥ずかしかった。

しかし、涙で声を震わせながら、私の作文を読む父の姿に
私は泣くことしかできませんでした。

「ただの紙切れが父にとっては何物にも換え難い宝なんだよ」
と聞かされた時は、本当にうれしかったです。

今、私は父と離れて旦那と新婚生活を送っています。

父は、

「うるさいのが居なくなって、家が広くなってええわ」
と言ってますが、本当は寂しいってことも知っています。

お父さん、いつも強がりばっかりだったから。

たくさん苦労をかけました。たくさん助けてもらいました。

なので、これからは私が父を助けていこうと思います。

だからお父さん、これからも元気でいてくださいね。

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