今、政治の世界では、日本は中国、また他の近隣国から嫌われたりなど、
いろいろありますが、多くの国々から日本は好かれてる方だと思います。
おおむね真面目で律儀に約束を守り、
自分中心じゃないところなどが、
好感をもたれるところじゃないでしょうか。
日本が国際化に進出した明治の頃から、
すでに海外のニッポンファンの種はまかれています。
たとえば、日本VSロシアの戦いの時。
明治の日本が、国の存亡をかけて戦った日露戦争です。
日本海海戦で日本はみごとに勝利を収めたものの、
それ以上戦い続けるのは、国力の面から無理な状況でした。
大国ロシアもプライドがありますから、
局地戦では負けているものの強気の姿勢は崩しません。
そんな時に戦争を終結すべく、当時のアメリカの大統領、
セオドア・ルーズベルトが間に入ってくれることになったのです。
これはポーツマス条約と呼ばれています。
1905年、アメリカのニューハンプシャー州にあるポーツマス近郊で、
日本全権の小村寿太郎とロシアの全権大使の間で調印が行われます。
アメリカのとりなしに感謝した小村寿太郎は、
1万ドルをニューハンプシャー州に寄付します。
「州内の慈善事業に使っていただきたいと思います」
という手紙を添えて。
すると、対抗上、ロシアも同額の小切手を寄付しました。
結果、「露日基金」という名前で同州に残りました。
しかし、しばらくしてロシアで革命が起こりました。
その途端、支払をストップし、それ以降、
ロシアからの送金はありませんでした。
それでは日本はどうか?
実は日本も送金しませんでした。
同じ送金しない国でも、ロシアには何となくアンチの風。
日本には何となく好感のそよ風。
その違いはどこにあったのでしょうか?>>>
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日本が送金しなかったのは、
アメリカと戦争をしていた期間とその後の9年間だけです。
アメリカによる資産凍結、そして敗戦と、
とても支払ができる状況ではなかったからです。
しかし、その後の9年間は、滞っていた9年間の分を合わせて、
なんと倍の額を律儀に支払い続けたのです。
ちなみにその基金、いつまで続いていたと思います?
実は今もなお続いているんです。
もう100年以上もです。
名前は「露日基金」ではなく、
「日本慈善基金」に変更になっていますが。
もし、個人の間柄だったら、こんな友達に対しては、
絶対的な信頼を置きますよね。
信頼ってこんな時に結ばれるような気がします。
問題が起きていない時に、いい顔をするのは誰でもできます。
本当の信頼関係は、
『問題が起きたことではなく、
問題のあとにどう対応するか』
だと思います。
そこで、誠心誠意尽くせたら、一生の絆が結ばれます。
英国BBC放送が33か国を対象に行った
「世界によい影響を与えている国」ランキングで、
ニッポンが世界でトップだったのも、
こういう姿勢の積み重ねの結果でしょう。
問題なんて、いつでもどこでも起こります。
起きた問題に対して、自虐的になる必要もないし、
鼻息荒くする必要もないと思います。
問題のあとにこそ、国や人の真価が問われる種が
仕込んであるからです。
ただこの例にあるように、僕らの先輩たちは、
ある一定の美学を確かに保有していた、
そのことを僕らは誇りに思っていいかと考えます。