神奈川県に住むKさん(60歳)は、
一日の大半を妻のAさん(63歳)の介護に費やします。
Aさんが、若年性アルツハイマー病という診断を受けたのは11年前。
薬物治療には遅すぎると診断されました。
妻の様子がおかしいことに気づいたのは、お金の扱いがきっかけでした。
金遣いが荒くなり、消費者金融から
数百万円をこっそりと借りていたのです。
やめてくれと泣いて頼みました。
しかし、妻のAさんは同じことを三度繰り返しました。
「もう限界だよ。別れよう」
そう口にした瞬間、妻は泣きながら背中に抱きついてきました。
妻は次第に、料理も買い物も着替えもできなくなり、
トイレの場所さえ忘れるようになりました。
妻のそばにずっといられる方法はないか。
考え抜いたあげく、小学校教師の職を辞めることにしました。
子らは、もう独立していました。
しかし世間は思いの外、冷たかったのです。
妻の親族は、見舞いどころか、電話すらめったにかけてきませんでした。
知人も離れていきました。
二人だけがオブラートのような
半透明な膜に包まれているような気がしました。
明け方、妻を起こしてトイレに付き添います。
この日課が、Kさんには最もつらかったのです。
妻は不機嫌になると、体を硬直させるため、
体を持ち上げるのに余計な力がかかります。
Kさんは腰を痛め、痛みで眠れない日が続きました。
その後の介護生活を大きく変える出来事が起きたのは、
4年前の冬の夜でした。
その日も妻は体をこわばらせ、
動き出そうとしません。
30分以上、頑張りましたが、動きませんでした。
万策尽きました。
Kさんは半ばやけになりました。
しかし、その後のKさんの態度の変化で、
妻のAさんの行動に変化が現れます>>>
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Kさんは半ばやけになって、
妻の目の前で思いっきり笑い声を上げてみたのです。
1分、2分、5分ほど経った頃でしょうか。
妻の表情がじわじわと和らいでいきました。
体も柔らかくなってきました。
そして、何と自分から歩き出したのです。
Kさんは思いました。
そうだったのか。
妻が不機嫌になる原因をつくっていたのは、自分の方だったのか。
妻は、夫のいら立ちを察知し、
自分の思いを全身で表わしていたのだ。
その日から、Kさんは、何があっても笑うようにしました。
自分が笑えば、妻もほほ笑みます。
努力してつくる笑顔かもしれない。
しかしそれが、暗いトンネルに
1本のろうそくをともすことになったのです。
翌年の春、Kさんは、神奈川から各駅停車で栃木に向かいました。
郷里にほど近い郊外の町に、妻と老後を過ごす家を建てているのです。
時折、車窓が満開の桜でピンク色に染まります。
思えばあの日も、各駅停車だった。
秋田に住む妻の両親に、結婚の許しをもらった帰りのことでした。
冬の夜、車両は二人きりでした。
固い座席で、そっと寄り添いました。
オレンジ色のとっくりセーターを着ていた妻の重みを、
今もKさんは思い出します。
あれから40年近く。
建設中の家には、意外に立派な柱が立っていました。
売れ残っていた土地に、40平方メートルほどの平屋を建てています。
年金で800万円のローンを組みました。
裏手にあるヒバの林から、青々とした香りが漂ってきます。
最近、妻は夜中に、びくっと背筋をそらし、
顔をゆがめることが増えました。
手を握ると、ぎゅっと握り返してきます。
残された時間がどれだけあるのか、Kさんには分かりません。
でも、あの時と同じように、妻と二人きりでいたい。
若い頃から小説家を目指していたKさんは、
病を得た妻への手紙をつづり、出版社に送ったことがあります。
【あなたと私はいつも一緒。
遅ればせながら本当の夫婦になったと言えるかもしれませんね】
朝日新聞2005.5.18の記事を参考にしています。