その日曜日はやって来ない、母への恨みが残った

b132
が4歳の時、父と母は離婚した。

祖父母と同居していたため父が私を引き取った。

母は出て行く日に私を実家に連れて行った。

家具や荷物がいっぱい置いてあって
叔母の結婚の時と同じだったので

「わぁ、嫁入り道具みたいだねー」

と嬉しそうに言ったのを覚えている。

家に戻ると母はドアの所で

「おばあちゃんちに又行かなきゃいけないの」

そう言った。

「いつ帰ってくるの?」

と聞くと困った顔をして少し黙り、
母はつい、

「日曜日かな?」

と答えた。

疑いもせずに私は笑顔で手を振って送り出した。

日曜日がいつかも知らなかった。

事実上、それは来るはずのない「日曜日」だった。

それから私は祖母に日曜日がいつかを聞いては、
玄関で待つ日々が続いた。

何回か繰り返したある日、母以外の
家族全員が揃う夕食の時間に私は聞いてみた。

「あのね、ママが帰ってくる日曜日っていつだか知ってる?」

食卓が凍り付いた。

それまでの笑顔が全く消えて、皆が押し黙って目を伏せた。

「私、うっかり聞くのを忘れちゃったのよー」

と笑いかけたが、誰1人笑ってはくれなかった。

それ以来、私はママの話は絶対にしないようにした。

皆の前でしてはいけない話なんだと子供心に理解した。

母に対するしこりのようなものが
いつまでも心の底に残った。

それから…もう30年が経つ。結婚式にも呼ぼうとはしなかった。

今では、私には1歳の娘と5歳の息子がいる。

先日、5歳の息子が

「ねぇ、妹と僕を産んだのはお母さんだよね?」

と聞いてきた。

「パパを産んだのはばぁばだよね? ママを産んだのは誰?」

「おばあちゃんよ、でもどこにいるか分かんないから会えないのよ」

「僕会いたいなぁ」

そこまでは平気な受け答えだった。

「どうして?」

聞いた私への息子の返事が胸をついた>>>

スポンサーリンク

↓Facebookの続きは、こちらからどうぞ↓

うして?」と聞いた私に息子が答えた。

「ママを産んでくれてありがとうって言わなきゃ!」

「うん、会いたいねぇ」と言うはずだったのに
涙がとまらなくなってしまった。

ずっとずっと封印してきた言葉。

”育てられないなら産まなきゃいいのに”
って思ったことすらあった。

そんな私の閉じ込められた気持を、
息子の一言は、涙とともに溶かしてくれた。

ありがとう息子。私はやっと素直になれそうだ。

スポンサーリンク