ある一文を半紙に書き、裏面に厚紙をあてて、
門の所の新聞受け兼郵便受けの函のそばに吊るしておきます。
次のような一文です。
「新聞屋さん、
郵便屋さん、
明けましておめでとうございます。
旧年中は、大変お世話になり、ありがとうございました。
本年も何卒よろしくお願いいたします」
これは私が小さい頃、祖父の手によって為されてきました。
祖父は、40数年、国鉄(現JR)に奉職した
仕事一筋の昔人間でした。
「わしらの仕事は、お客様が仕事を休み、遊び楽しんでる時が、
一番大事な時や。わしらが、事故なく列車を動かすことが、
皆のためになるんじゃ」
と言っていました。
それだけに、新聞や郵便の配達に携わる人たちが、
一般の人の休日には関係なく仕事をしている姿を見るにつけ、
自分と同じ境遇にある彼らに、人一倍、関心があったのでしょう。
その関心が感謝の気持となって、
この挨拶の言葉になったのだと思います。
私も親元から独立して以来、
祖父を真似して同じことを毎年してきました。
今年の元旦のことでした。
いつもなら、私は、いつ新聞が配られてきたのやら、
年賀状がいつ配達されたのやら、まったく気づきません。
家の者が受け箱から取って来て、
テーブルの上に置いてあるのを手にするのが常でした。
ところが今年は、雪がちらちら舞いだしたこともあって、
どうした塩梅か、ダイニングの椅子に腰を掛け、
お屠蘇の酔いもあって何となく外を眺めていました。
その時です。
バタバタというバイクの音がしたかと思うと、
元旦の分厚い新聞を手にした高校生らしい少年が
門に近づいてきました。
受け箱の前まできて、ふと挨拶板に気がついたようで、
じっとそれを見つめていました。
その後の少年の反応に、私は大きな驚きを感じたのです>>>
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少年は挨拶板をじっと見つめ、そっと顔を寄せ、
読み下したようでした。
その瞬間でした。
少年はかぶっていた帽子をさっと脱いだかと思うと、
その挨拶板に向かって、深々と頭を下げたのです。
その逐一をガラス戸越しに凝視していた私は、
あっと声にならない声を発し、強烈な感動に襲われ、
涙さえこみ上げてきました。
何という清々しさ!
何という美しさ!
少年の純真な心にまともに
ぶつかったような気がしたのです。
「今時の若者はなっていない!」と世間は言うし、
私自身もまた、あえてそれを否定してこなかっただけに、
「この情景は一体何なのだ」と感無量で、
しばし言葉も出ない有様でした。
もうその時には、少年はバイクの音を響かせ、
次の家に向かって走っていきました。
そうでなくても、日本人にとって、格別の感慨を覚える元旦に、
こうした光景に遭遇したことで、心新たな新春への思いを
かきたてられたのでした。
そして、祖父が、自分の身に置き換えてのことかも知れませんが、
他人の苦労を思いやる温かい心遣いをしていたんだなあと、
今さらながら嬉しく思うと同時に、
こうした少年がいる限り、人間の未来はまず大丈夫、
安泰だろうと、つくづく感じたものでした。