思わぬ病気で長期入院となり、
最前線で活躍中のプロジェクトからはずされたのだ。
目の前が真っ暗な状況だった。
入社以来、僕は着々と出世コースを歩んでいたように思う。
上司や得意先からの期待に答えることは、
僕の仕事のやりがいと一致していた。
頑張れば頑張るほど、結果が伴い、
それにより、周囲が喜んでくれるのが嬉しかった。
しかし、僕は思い知らされた。
どんなに頑張って働いても、
しょせん僕は、会社の歯車に過ぎなかったのだ。
自分がいなければ、会社はどんなに困ることだろう、
一刻も早く仕事に復帰しなければ、
多くの人の仕事が止まってしまう。
そう思っていた。
そんな僕の思いは錯覚に過ぎないことが、
よく思い知らされた。
心配で僕は、たびたび病院から会社に電話をした。
そのたびに上司から叱られた。
「バカ者!今は治療に専念しろ。
のこのこ現場に電話してくる奴があるか」
あまり頻繁な電話に、
さすがに上司の言葉はキツくなってきた。
「おまえは、会社ってものをなめてはいかん。
一人が欠けてダメになるようなら、
そんなもの既に会社じゃない。
おまえの電話は、残った者に対する侮辱と同じことだ」
上司の言う通りだ。
僕なんか居なくても、居るのと同じように、
会社は変わらず動いているし、
だからこそ「組織」なんだと。
頭ではよく分かっているつもりだが、
こと自分の感情はどうしようもなく処理し難かった。
ああ、これが「クサる」ということかと分かった。
本日、検査のため病室不在のとき、
その上司がお見舞いに来た模様。
「お見舞い」を看護師さんから渡された。
そのお見舞いには、びっくり仰天だった。
何と1億円だ!(笑)
こんな風に折込をつければ、1万円が1億円になるぞと
説明書きが添えてあった。
電話での上司の言葉が、胸にわだかまっていた僕だが、
思わず、クスッと微笑んでしまった。
添えられた手紙に、ついつい僕は引き込まれてしまった>>>
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上司からの手紙にはこうあった。
○○(僕の名前)君、
今は辛抱の時だ。
そういう時が人生にはある、ということを学ぶ時なんだ。
君のクサりたくなる気持はよく分かる。
俺も、同じ経験があるからだ。
入院中、俺も会社のことが気になって気になって、
今にも病院を抜け出したくて、しようがなかったものだ。だけど、病人を会社が受け入れてくれるはずもない。
多忙な人間が、急に時間を持て余す入院というものは、
人の気持を萎えさせるには十分な環境かもしれない。俺も、しょせん歯車かと思った。
しかし、入院は人の気持を萎えさせるという一面、
スイッチを切り替えれば、自分の視野を広げてくれる一面もある。強いと思ってた自分が、案外弱いものだと気づかされたり、
これまで気づかなかった周囲の気配りに気づかされたり、
もっと自分より辛い人たちへの思いやりが持てるようになったり…。…つまり人としての「優しさ」に目覚める時間を
もたらしてくれることもある。俺の場合はそうだったから。
退院間近になり、俺は思った。
確かにサラリーマンは、組織の歯車かもしれない。
でも同じ歯車なら、
くっきり山型の輪郭を残す歯車になってやろうと。疲れて摩耗し、すぐに取り替えの効く歯車でなく、
力強い歯車になろうと。土台、歯車というものは、
お隣の力をまたお隣につなぐ、大切な動力だ。いま君が抜けたプロジェクトも、
君の力を必要としているのは確かだ。だからこそ、君がしっかり健康を回復し、
その上で職務に復帰してくれることを、
俺たちは待っているわけだ。最後に、お見舞いの「一億円」であるが、
これは実はお見舞いではない。おすそ分けだと思ってもらいたい。
この一億円は、密かに自分の財布に忍ばせていたものだ。
おかげ様で、俺は「金運」にも「健康運」にも、
それに「家庭運」にも恵まれている(笑)。・・・ほんとうの話だ。
さらに、それをおすそ分けすれば、
「運」というものは、お友達を連れて帰ってくるそうだ。情けは人のためならず、ということだから、
お見舞いではなく、おすそ分け。おすそ分けだから気にするな。
それでは、早く治せ。
またな。