「男は飲ませて握らせればすぐ転ぶ。
女は一度これと決めれば動かない。
候補者の周りに女性が群がれば、
間違いなく勝つ」
数々の選挙を経験してきた秘書の早坂茂三氏に
田中角栄が語っていた言葉です。
「東大卒も田舎の婆さんも同じ1票だ」
角さんは、しばしば、そのようにも選挙の本質を語っていたそうです。
ところで、角さんの背景には、
わが身を犠牲にして角さんを支える数人の女性たちがいました。
奥さんのはな夫人、そして神楽坂の花柳界に生きた辻和子さん、
側近として生涯、角さんに仕えた佐藤昭子さん。
田中角栄ほど「女の忠誠心」に囲まれて生きた政治家はいません。
やはり女性の敏感な感性は、人間性を見極めるのにも鋭く働いたのでしょう。
女性層の強い支持、高い人気は、生涯衰えることのなかった角さんです。
ある時、角さんの秘書の一人が、自分のクビを賭けて諌言します。
「小佐野賢治と佐藤昭子を切ってください」
小佐野賢治とは、角さんとは刎頚之友(ふんけいのとも)とも呼ばれ、
ロッキード事件では何度も国会に召喚された実業家です。
佐藤昭子さんは、「越山会の女王」とか「越山会の金庫番」とも呼ばれ、
当時、多くの男性秘書たちとは対立関係にあったと思われます。
辞職覚悟の秘書の諌言に対して、
角さんはどう答えたのでしょうか?>>>
↓Facebookの続きは、こちらからどうぞ↓
「前者は了解したが後者は無理だ」
佐藤との別れは、彼女にとって「生死」ほどの重みがある、
小佐野との別れは「生死」とは関連しない。
そんな思いが角さんの中にありました。
半分の言い分を蹴られたその秘書は辞職しました。
後日談ですが・・・。
後に、その元秘書が心筋梗塞で倒れたとき、角さんは病院へ急行しました。
角さんは当時総理の職を辞していたものの、
当然のことながら病院は大騒ぎとなりました。
元秘書の担当医を見つけると、角さんは、いきなり土下座の格好をして、
「彼を助けてくれ」と懇願したそうです。
そして、手付けとして担当医に100万円渡し、
その元秘書を励ましました。
女性には常に温かい手を差し伸べ、
男の困窮の時には、何を捨てても駆けつける角さんの一つの顔でした。