「病」に対して”あなた”と呼びかけた少女

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年前、福井新聞に掲載された
「病という名のあなたへ」
という作文を紹介したいと思います。

当時福井県の高校一年生のF.T.さんという女性の作文です。

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私は病(あなた)を恨んだ。

辛いから恨まずにはいられなかった。

苦しいときはこの身を切り開いて病(あなた)をつかみ出し、
切り刻みたいと思うほどに憎んだ。

それでも事足りず、病(あなた)が遺伝性が高いと知ると、
私は父を恨み、母も恨んだ。

それでも、祖母が病(あなた)に侵されたときは、
皆で母を助け、家族が一つになれたことに私は感動し、
病(あなた)は優しさを教えるために
この世に存在しているに違いない、と確信した。

なのに、いざ病(あなた)が私にふりかかると、
私の中に優しさは生まれなかった。

友達が「頑張ってね」と見舞ってくれると、
「私の頑張りが足りないっていうのか」と悪態をついた。

友達が、「早く良くなってね」と励ましてくれると、
「私がわざとゆっくりしているというのか」とひねくれた。

その上、同情は嫌だと自分を出すことさえ拒んだ。

病(あなた)を恨み続けることでしか、
自分の存在も見えなかったのかも知れない。

(そんな彼女でしたが、あるきっかけにより、
 少しずつ病との距離感が変化します。
 そのきっかけとは>>>)

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も、つい数日前、一人の友が16歳の若さで亡くなった。

突然のことで、誰もが心を痛めた。

私も苦しかった。

その苦しみを、迎えに来てくれた母に話した。

母は「どうして…」と言うと、そのままずっと涙した。

家に着くまで、母の涙が乾くことはなかった。

祖父は「代わってやりたいだろうな」と家族を思い、
父は「Fは大丈夫?」と、私を気遣ってくれた。

その夜、寝つけぬ私の枕元に母が座り、
私が寝つくまで、私の頭をずっと撫でてくれていた。

涙を押し殺すように、
時々途切れる母の鼻息が私の肩を優しく抱いた。

こんな世話のかかる私、そう、病(あなた)をひっくるめた
私のすべてを、誰もが大切に思ってくれていることを、
私は強く感じた。

次の日の葬儀では、多くの人の、さまざまな悲しみがそこにあった。

ひとつの命を誰もが愛おしいと思っているのを、痛いほど感じた。

病(あなた)が、なぜ彼女を奪ったのかはわからない。

しかし、その場の私は、たとえ自分が病(あなた)と一緒であろうと、
今、自分に命あることを感謝せずにはいられなかった。

ある人が、「人の苦しみは、その人が越えられる分だけ与えられる」と言った。

ならば、病(あなた)が私の元にやってきたのは、
私の周りには私を助けてくれる人がたくさんいるからなのだろうか。

考えてみると、病(あなた)がいるからこそ、
人に素直に頭を下げることが出来るのかもしれない。

かといって、私は病(あなた)を好きではないのだと思う。

そう、私は病(あなた)に負けたくない。

でも正直いって、治るはずもない病(あなた)と戦いたくもない。

今となっては、病(あなた)がいる私こそ私であると思えなくもないから。

だから私、これから先は、病(あなた)と仲良く生きていきたいなあ。

ねえ、病(きみ)!

仲良くやっていこう。

そして、病(きみ)が見せてくれる私の決心(こころ)と、
人の情(こころ)を捜してみたいなあ。

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以上のような作文です。

わずか16歳の少女が、不治の病に侵されながらも、
懸命に立ち上がっていこうとする、その姿に深い感動を覚えます。

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