戦争は優しいお父さんを鬼にも変える

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さんのお父さんは、戦時中、タイに派遣され、
イギリス人捕虜の管理を仕事としてやっていました。

幼いKさん宛てに、軍人のお父さんは心優しいハガキをよこしていました。

「○ちゃん、4月から幼稚園に入れてうれしいでしょう。
 毎日元気で、白いエプロンをつけて幼稚園に通っているのが
 見えるようです。元気で通ってください。
 幼稚園に行く道は、自動車、オートバイなどがたくさん通って、
 危ないので、毎日気をつけて怪我などしないようにしてください。
 …(後略)」

戦争が終わり、家族はお父さんの帰りをひたすら待ちましたが、
お父さんは帰って来ませんでした。

派遣先のタイで死亡したとのことでした。

お父さんの死を知らされ、Kさんは、ひどく悲しみました。

さらに、お父さんの死亡の原因を知らされた時には、
大きなショックを受けました。

敗戦後、お父さんはイギリス軍に逮捕、シンガポールに連行され、
翌年3月にはB級・C級戦犯として、
現地の刑務所で処刑されたのでした。

その罪状は、俘虜への不当な暴力行為。

イギリス人俘虜8人の中にスパイ行為を働く者を発見し、
お父さんを含む日本軍は、彼らに集団で暴行を加えたそうです。

そのため俘虜のうち2人は死亡、
残りの6人も重傷を負ったとのこと。

ハガキを通じて知るお父さん、
それにお母さんの話から知るお父さんは、
限りなく優しい人でした。

そのお父さんが、殺人や傷害で罰され処刑されたとは…。

それが戦時中のこととはいえ、
Kさんにはとても信じられない話でした。

Kさんはその後、戦犯の子ということで、
苦しい生活を送ることになりました。

後ろ指を指された経験は数知れず、戦争の遺族会にも入れず、
厚生省からの補償ももらえません。

面と向かって、
「こいつの親父は戦犯で、そういうやつのせいで
 日本は負けたんだ」という言い方をされたこともあります。

就職の面接を受ける際には、親が戦犯だと言っただけで、
「ごくろうさま」と面談を切り上げられたこともありました。

月日は流れ、1996年、Kさん58歳のときです。

当時の裁判記録が発見されました。

Kさんのお父さんが、英軍大尉ロマックス氏らに暴行を加え、
そのうちの2名を死に至らしめたことは
確かなことであると確認できました。

それ以降、Kさんは、生き残っているロマックスさんに、
父の代わりとして謝罪をしたい、
しなければいけない、と考えるようになりました。

ロマックスさんとは手紙のやりとりをするようになったKさん、
2006年、68歳のときロンドンに直接謝罪の旅に出かけました。

そして、長らく胸につかえていた思いを、
謝罪の形でロマックスさんに伝えることが出来たのです。

しかし、その場でKさんはロマックスさんから、
驚くべき事実を聞かされ深く考え込みました>>>

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マックスさんからKさんが聞かされた事実。

それは、お父さんを告発したのは、
ほかならぬロマックスさん本人だと言うのです。

ロマックスさんの話では、
『奴にやられたんだ。すぐに処刑にしろ』と裁判官に証言し、
そのことが処刑の決め手になったとのことでした。

Kさんは複雑な気持に陥りました。

処刑の決め手を作ったのは目の前のご本人。

だけど、父が直接暴力を振るったのも目の前のご本人。

やはり、Kさんの中で、申し訳ない気持が勝ちました。

本来ならば言いたくない事実を、ありのままに語ってくれた勇気、
実子に対して正直に向き合ってくれた誠意、
そんなことを考えたら、頭を垂れずにいられなくなったのです。

後日、ロマックスさんのこんな談話があります。

「彼の父を告発したのに、息子が謝りにやってくるとはショックを受けた」

また、
「Kファミリーを不幸にしたのは自分の責任で、それについては謝罪したい」
とも語っています。

この出来事を通じて、Kさん、ロマックスさん、
互いにつらい思いがあったことを知り、過去を嘆くのではなく、
未来に向かって歩んでいこうとの考えを確認できたとKさんは述べています。

もう現在は、そのロマックスさんもお亡くなりになりました。

現在は、天国で自分の父や彼らが仲良くしていて、
自分がこうやって戦争を語り継いでいる様子を
見守ってくれているのではないか。

Kさんは、そう語っています。

参考サイト:
戦争の被害者はだれか
http://newclassic.jp/6710

父のことを思う―「戦犯の子」として生きた私の戦後
http://www.us-japandialogueonpows.org/Komai-J.htm

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